2016/10/18

エレーヌが持ち続けていた証明書写真

   駿河 昌樹
   (Masaki SURUGA)


 エレーヌは自分の記録になるようなものを残したがらなかったが、亡くなった後に遺品を整理していたら、小さな写真ファイルに、過去の証明書用写真を取っておいてあるのが見つかった。

 日本に来る頃あたりの、30代後半からの写真と思われる。
 日本で撮られた50代以降の写真も含まれている。
 最後の2枚は両親の証明書用写真で、日本に来る時点で、携帯してきたものと思われる。
 エレーヌは、私には父母のことをよくは語らなかった。家事手伝いをさせるために、彼女の母はエレーヌをリセに行かせない手続きをしたが、エレーヌはこれにショックを受け、死を決意して食事を拒否して抵抗した。父がなんとか取りなし、一年遅れで入学できたが、このことはエレーヌから何度か聞かされた。
 父についても、エレーヌは深い不信を持っていた。母によるリセ進学停止事件の際にも、父ははじめは何もしなかったので、エレーヌは父も同罪だと考えた。子供の時、父といっしょに釣りに行った際、誤ってエレーヌは川に落ちて溺れかけた。彼女はなんとかひとりで岸にたどり着いたが、溺れている彼女を見ながら、父は釣りを優先して全く助けようとしなかった。この出来事は、エレーヌの心を父から完全に引き離した。このことも、エレーヌはたびたび私に語った。
 川で溺れかかった出来事が、エレーヌの語る通りだったのか、わからない。そうだとしても、なにか教育的な配慮を思って、父親がそうしたのか、それもわからない。いずれにしても、幼かったエレーヌとしては、命に関わるような瞬間に父が助けてくれなかったと受け止め、生涯にわたって重大視することになった。
 私は、彼女の故郷を訪ねた際、退職していた老いた父親と何度か会った。いつも夏場で、アンダーシャツだけで一日じゅう暮らしている好々爺だった。毎日、長い階段坂を下りた先にあるスーパーマーケットに買い物に行き、階段坂を上って帰ってくる。それが彼の日課だった。必ず、オレンジジュースのオランジーナを買ってくる。よく、それを彼と飲みながら、ぽつぽつと話をした。彼は、自分がエレーヌの学業をどんなに後押ししたかを語ったが、それは、母親が決定したリセ進学停止を翻したことを意味しているのか、と思った。
 父親が言ったそのことを、後でエレーヌに話すと、「なに言っているのかしら!パパはなんにもしてくれなかった!私が痩せこけて死にそうになったから、慌てて、翌年の進学を決めてきただけなのに!」と彼女は憤慨していた。けれども、エレーヌは、父親には、同じ言葉を言おうとしなかった。
 エレーヌは、そんな父母の小さな写真を、最期まで重要書類の奥に、いっしょに保持し続けていた。できれば、そうあってもらいたいような理想の父と母の姿を、たまに写真を見ながら、エレーヌは思い描いていたかもしれない。



















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