代田の自宅の庭で。 2003年頃の冬? エレーヌ自身が小型カメラで撮影。 87.6と写真にあるのは、カメラの日時記録の故障。 |
駿河昌樹
(Masaki SURUGA)
エレーヌは1941年11月22日生まれなので、生きていれば、きのうで78歳になったことになる。
11月22日といえば、フランスのド・ゴール大統領と同じ誕生日だし(1890年)、なにより、アメリカのケネディ大統領の暗殺された日で(1963年11月22日)、生前は、この日がめぐってくると、年中行事のようにこれらのことがエレーヌとの会話に上った。
ナチスに対して抵抗し続け、戦後はアメリカ覇権に抵抗し続けたド・ゴール大統領は、20世紀のフランスの超重要人物で、もちろんエレーヌは、とりあえずは彼とは何の関係もないわけだが、それでも少女時代、エレーヌは、ド・ゴールと握手したことがあると、ちょっと誇らしげに私に言うことがあった。エレーヌの故郷のロゼール地方に、戦後、地方遊説かなにかでド・ゴールが来たことがあって、その時に道に並んで見ていたエレーヌも、たまたま握手したのらしい。
毎年のエレーヌの誕生日頃には、どんなことがあったのだろう、どんなことをしていただろう、と古い手帳を見ながらふりかえってみると、30年ほどの手帳が残っているので、あまりに多くのことがよみがえってきて、困ってしまう。
誕生日だからといって、パーティーのようなことをするのは好まないエレーヌだったし、たいていの時はふつうに仕事で忙しく日を送っていたので、これといったことをするわけでもなかった。
○○歳になったね、とか言うと、「あああ、イヤです」とか答えていたように思う。若いことへの愚かしい信仰のようなものはなかったと思うが、やはり、歳をとっていくことは快くは思っておらず、せめて心身は若く保っていたいという気持ちは、おそらく、だれよりも強く持っていたように見える。少なくとも、老いもよいものだ、などという考えは、まったく持っていなかった。老いていくのはしかたないとしても、それには負けたくないというのが、エレーヌのふだんの考えだったように思う。
2004年の11月22日、誕生祝いにと思って、私はひと鉢のポインセチアを買って、エレーヌの家に持って行った。エレーヌは仕事に出ていて不在だったので、居間に置いてきた。
エレーヌは、家の中を植物でうまく飾るような気質に欠けていたので、冬などは室内がすこし寂しくなる。ちょっとは植物のグリーンがあってもいいのではないか、と私は感じていた。その頃三軒茶屋に住んでいた私は、ふと思いついて、近所の花屋でポインセチアの元気そうな鉢を買って、わざわざ歩いて届けに行くことにしたのだった。
夜になって、エレーヌから電話が来て、ポインセチアを置いていったのは私か?と聞かれた。冬だし、誕生日だから、赤とグリーンであかるい感じになっていいと思って…と言うと、ポインセチアは大嫌いなので困る、本当にイヤです、などと言われた。
ずいぶん長いつき合いながら、このことは知らなかったので、ああ、そうなの、悪いことをしちゃったね、と答えておいたが、こちらも忙しいなかで、わざわざ鉢を選んで、エレーヌの家まで行き来して2時間ほどは費やしたというのに、ありがとうのひと言くらいあってもいいようなものなのに、とちょっと不愉快になった。
エレーヌは、薔薇は大好きだったし、あざやかなピンクのツツジも大好きだったし、梅も桜も好きだったので、花の少なくなる季節にすこしでも色どりを、と思って、ポインセチアを送ったのだが、花というよりは、あの葉っぱに色のついただけのような嘘っぽい形状が、花好きのエレーヌを苛立たせたのかもしれない。
ともあれ、誕生日にエレーヌになにかをあげるというようなことは、この時を機会に、すべて終わりにすることにした。だいたいエレーヌという人は、ケーキは嫌いだし、お菓子も嫌いだし、チョコレートは大好きだったが、それも、甘くない、カカオの純度の高いものに限っていて、本人がしっかり選んで買ってきていたので、お祝いのプレゼント的なものではいけない。そうなると、プレゼントとしては薔薇あたりが適当だということになるが、11月の終わり頃では、保ちのよい良い薔薇も少ないので、あまり積極的に買う気になれない。こう考えていくと、けっこう面倒くさくて、気が乗らなくなっていったのだった。
2008年の11月21日の手帳の欄には、来週にエレーヌと上野の西洋美術館に行くので、今日は行かない、とのメモがある。翌日の誕生日を意識して、そのあたりの日にいっしょに行こうと考えていたものらしい。
翌週の28日(金曜日)にはエレーヌと上野に行き、西洋美術館で「ヴィルヘルム・ハンマースホイ」展を見た記録がある。この後、世田谷に帰ってきて、三軒茶屋のすずらん通りにあった定食屋「はとぽっぽ」で定食を食べた。エレーヌはたぶん、肉野菜炒めか野菜レバー炒めかなにかを取ったはずだが、ときどき入ることにしていたこの店では、エレーヌは特別に頼んで、肉や野菜を除いてただの野菜炒めにしてもらっていた。
今もこの店はあるかな?と思って調べてみたら、2016年10月27日に閉店したのだという。創業1977年で、39年ほど続いていたらしい。エレーヌの死んだ後、6年ほど生きのびていたわけだが、三軒茶屋を離れた私も、もう行かなくなっていた。
https://kaiten-heiten.com/hatopoppo/
「はとぽっぽ」の閉店を知って、そういえば、1980年代や90年代にたびたびエレーヌと行って食べた下北沢の定食屋「千草」はどうしただろう、と思い、調べてみると、「千草」のほうも2013年3月31日に閉店したのがわかった。家で魚を焼いたりしなかった頃の私たちは、「千草」で焼きサンマ定食や、サバ味噌定食、ブリ照り焼き定食などを食べるのを楽しんだ。惣菜も充実していて、エレーヌはよくヒジキやレンコンを注文したりしていた。私たちは常連だったので、元演劇女性たちだったらしい店主や他の個性的なおばさんたちといろいろ話したりして、楽しい店だった。
https://love-shimokitazawa.jp/archives/3206
下北沢には、エレーヌの好んだ自然食レストラン「ありしあ」もある。そちらのほうは現在もやっているそうで、食べログなどにも載っている。
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131802/13087312/dtlphotolst/1/smp2/
さて、今回のページには、エレーヌ自身が撮った写真も数枚出しておこう。
猫好きが嵩じてきたエレーヌに、私の小型カメラをひとつ持たせて、写真を撮らせてみたことがあった。
ただシャッターを押すだけの、扱いの簡単なカメラだったが、それまで一度もカメラを使ったことのなかったエレーヌが撮ると、驚くほど下手くそで、この人はカメラに関しては本当に才能がないんだなぁ、と逆の意味で感心させられた。
ここに載せるのは2003年頃の写真で、なんだかなぁ…という写真の中でも、まだしも見られるものを選んだ。カメラの日時記録機能が壊れていて87年となっていたりするが、写真に印字されている年や日は間違っている。
下手とはいえ、エレーヌ自身が見て、わざわざ撮ろうとした光景がそこには定着されているので、その意味では、エレーヌの目を体験できるものだとはいえる。家にずっと居た主のようだった雌猫ミミ以外に、エサをもらいにいろいろな猫が来るようになっていた頃で、寝室に入っては畳の上や布団の上で休んで行ったり、玄関わきの自転車置き場ではエサを食べて行ったりしていた。
冬の日、庭の物干し竿に洗濯物を干しているのを撮った写真もあるが、試しに撮ってみたものだろうか。猫も写っていないし、なにを狙って撮ったのかわからないが、寝室から外を見た時にふつうに目に入るなんでもない風景が定着されている。今になって見てみれば、逆に、とても懐かしい、二度と見直すことのできないもので、これがエレーヌの視覚的日常だった、と、あらためて思う。
エレーヌの生きていた頃の、代田1丁目7-14の、冬の暖かめの日の光景が、ここにはある。