2016/10/23

旧古河庭園の秋薔薇

駿河昌樹
  (Masaki SURUGA)


エレーヌのことを記すのではなく、今回はエレーヌにむけて記そうと思う。
昨日、秋薔薇が花盛りの東京の旧古河庭園に行き、いくらか写真も撮ってきた。
薔薇の写真をとても好み、
毎年のカレンダーは薔薇の写真のものを買ってくることにしていたエレーヌには、
どこかで花の写真を撮るとよくメールに添付して送ったものだが、
亡くなってからは、もちろんそんなことをしていない。
今回はひさしぶりに、そんなふうにエレーヌにむけて、薔薇の写真を送りたい。

エレーヌがもし、自分でこのブログを書くことになったとしたら、たぶん、自分で撮った季節の花々の写真や猫たちの写真で埋め尽くすことになったのではないか。
そういう意味では、今回は、もっともエレーヌらしいブログになるといえそうだ。


旧古河庭園はエレーヌとも何度か薔薇を見に行ったところで、
彼女自身にとっても懐かしい場所だろうと思う。
エレーヌは、薔薇をはじめ、さまざまな花そのものも好きだったが、
さまざまな色合いのピンク系やムラサキ系の色をとても好んだ。
60代に入ってからは、その好みは激しくなった。
自信を持っていても、体のうちに疲れを感じるようになっていたのか、
それを癒すようにそれらの色をつよく求めていたのか、とも思う。


Le jardin "Kyu-Furukawa Teien"à Tokyo, 
 il est plein de roses d'automne en ce moment. 
Hélène connaissait bien ce jardin et elle aimait à s'enivrer du parfum des roses. 















































2016/10/18

エレーヌが持ち続けていた証明書写真

   駿河 昌樹
   (Masaki SURUGA)


 エレーヌは自分の記録になるようなものを残したがらなかったが、亡くなった後に遺品を整理していたら、小さな写真ファイルに、過去の証明書用写真を取っておいてあるのが見つかった。

 日本に来る頃あたりの、30代後半からの写真と思われる。
 日本で撮られた50代以降の写真も含まれている。
 最後の2枚は両親の証明書用写真で、日本に来る時点で、携帯してきたものと思われる。
 エレーヌは、私には父母のことをよくは語らなかった。家事手伝いをさせるために、彼女の母はエレーヌをリセに行かせない手続きをしたが、エレーヌはこれにショックを受け、死を決意して食事を拒否して抵抗した。父がなんとか取りなし、一年遅れで入学できたが、このことはエレーヌから何度か聞かされた。
 父についても、エレーヌは深い不信を持っていた。母によるリセ進学停止事件の際にも、父ははじめは何もしなかったので、エレーヌは父も同罪だと考えた。子供の時、父といっしょに釣りに行った際、誤ってエレーヌは川に落ちて溺れかけた。彼女はなんとかひとりで岸にたどり着いたが、溺れている彼女を見ながら、父は釣りを優先して全く助けようとしなかった。この出来事は、エレーヌの心を父から完全に引き離した。このことも、エレーヌはたびたび私に語った。
 川で溺れかかった出来事が、エレーヌの語る通りだったのか、わからない。そうだとしても、なにか教育的な配慮を思って、父親がそうしたのか、それもわからない。いずれにしても、幼かったエレーヌとしては、命に関わるような瞬間に父が助けてくれなかったと受け止め、生涯にわたって重大視することになった。
 私は、彼女の故郷を訪ねた際、退職していた老いた父親と何度か会った。いつも夏場で、アンダーシャツだけで一日じゅう暮らしている好々爺だった。毎日、長い階段坂を下りた先にあるスーパーマーケットに買い物に行き、階段坂を上って帰ってくる。それが彼の日課だった。必ず、オレンジジュースのオランジーナを買ってくる。よく、それを彼と飲みながら、ぽつぽつと話をした。彼は、自分がエレーヌの学業をどんなに後押ししたかを語ったが、それは、母親が決定したリセ進学停止を翻したことを意味しているのか、と思った。
 父親が言ったそのことを、後でエレーヌに話すと、「なに言っているのかしら!パパはなんにもしてくれなかった!私が痩せこけて死にそうになったから、慌てて、翌年の進学を決めてきただけなのに!」と彼女は憤慨していた。けれども、エレーヌは、父親には、同じ言葉を言おうとしなかった。
 エレーヌは、そんな父母の小さな写真を、最期まで重要書類の奥に、いっしょに保持し続けていた。できれば、そうあってもらいたいような理想の父と母の姿を、たまに写真を見ながら、エレーヌは思い描いていたかもしれない。