エレーヌのキルリアン写真 Helene's Kirlian photography |
駿 河 昌 樹
なぜあれほどまでに、というほど、音を立ないようにそっと家の中を歩く。
それがエレーヌだった。
井の頭線の池の上駅から五分ほどのところにあった家は、大きな日本家屋だったものの、ずいぶん古くて、二階をひとが普通に歩くといくらか揺れるような感じがした。実際にはそう簡単に揺れるわけもないのだが、人間のほうが敏感にさせられてしまうような雰囲気があって、ちょっと歩くと自分の動きにあわせて家が揺れるような気がする。
ほら、揺れています、もっと静かに歩いて、とエレーヌは言うのだった。畳の上を、まるで雲か水の上を歩きでもするように、踏むか踏まぬかといった足どりで進む。彼女にとってはごく自然ななんでもない歩き方なのだが、ほかの人間には、はじめのうち、なかなか難しかった。
パリでの学生時代、間借りをして暮らしていた際に身についた歩き方だという。
呼吸法や弛緩法をとりいれたお産のしかたにラマーズ法というものがあるが、それで有名なラマーズ博士の家の一部屋を借りて暮していた学生時代のエレーヌは、なにかで少し遅くなって帰宅する時には、生活時間の異なるその家の家族たちの邪魔にならないよう、そっと玄関の鍵をあけ、細心の注意をして閉め、自分の部屋までしずかに歩いていったという。
彼女にかぎらず、学生時代に他の家の居候になったり、門限にうるさい家で育ったりしたら、誰にでも似たような経験はありそうだが、エレーヌの場合、これが一生を通じて習い性のようになった。
ひとつにはフランスの家の床張りのしかたにもよる。ちゃんとした家の場合、パルケparquetと呼ばれる寄木張りで床が作られることが多いが、あの上を歩いてみると、どんなに静かに足を運んでも、ミシミシ、キシキシと音がする。踏み場所の悪いところなど、まるで、錆ついた蝶番の古い重い扉を開けでもしたように、ギーッという音が響き渡る。フランス人たちにとってのあのパルケの軋みは、我が家というものの安らぎを証明するようなものとして、ひょっとして、受けとられているのではないだろうか。
ラマーズ家の玄関の扉を閉め、そこから自分の部屋に向かう女子学生エレーヌが、はじめから音を立てないで歩くことに成功したとは思えない。しかし、バレエにはやくから興味を持ち、ひとりでいる時にはプリマドンナの気持ちで野原で踊ったりしていた娘には、案外、楽しい課題に感じられたのではないかとも想像される。あら、昨夜は遅くに帰ってきたのね、でもあなたの足音、ぜんぜん聞こえなかったわ、と言われるのに時間はかからなかったらしい。エレーヌには、それが小さな自慢となった。
終生の友となったイレーヌ・メニユの家も、床はやはり寄木張りのパルケで、どこを歩いても鳴った。とくに広いサロンの床は豪勢な鳴りようで、これでは泥棒もうっかり入れまいと思うくらいだった。玄関口からそれぞれの部屋に向かう廊下もよく鳴ったので、誰かがそっと帰ってきても床の音ですぐにわかる。
メニユ家に泊まる場合には、さすがのエレーヌでも、この廊下の音を立てないで自室に向かうというわけにはいかなかった。メニユ夫人は寝室で先に寝についていても、エレーヌの帰ってきた足音を聞きつけると、そっと寝室を出て、あかりも点けずに玄関へ歩いていく。メニユ夫人の寝室から玄関への廊下の床のほうが音が立たなかったので、抜き足差し足で自室へ向かっていくエレーヌの前に、いつの間にか幽霊のようにメニユ夫人が出現するのだった。
そうなると、たいていはキッチンにふたりで向かい、お湯を沸かしてコーヒーやティザンヌtisane(ハーブティー)を作り、あり合わせのお菓子を皿に入れ、それらを食堂に運んで、しばらく深夜の歓談に興じることになる。人生の流れがふと停止し、どこかの静かな人知れぬ入り江に入り込んでしまったかのような休息のひととき。三十分ほどでこれが終わるのは稀で、小一時間ほどは話が続いてしまうことが多かった。誰がどうしただの、こんな問題が降りかかってきただの、内容は生活上の様々な珍事や事件であっても、どれもが、直接は自分に関係のない物語の中のエピソードででもあるかのようで、笑いが出ることが多かった。どうしても解決の行かぬ問題については、エレーヌお得意のカード占いで決着をつけるということになる。それとても、結果を信じ込んで行うわけではないので、二度三度やって、なんとなく気分的に納得がいったところで、さあもう寝ましょう、明日も早いのだから、と、ようやく寝に就く準備に入ることになるのだった。
亡くなるまでの20年を暮した世田谷の代田の家は、一階だったこともあり、もちろん寄木張りの床でもなかったので、無理にそっと歩く必要はなかったが、それでもほとんど足音を立てずに家の中を歩いていた。ながく一緒に暮らしていた雌猫のミミのほうがよほど足音を立てて歩きまわっていて、猫が急いで畳の上を歩く時の特有のタタタタ…という音や、床を歩く時のトトトト…といった音のほうが、よほど主人の足音よりも響いていた。
音のなさということでは、歩くより、むしろヨガをする時のほうが特徴的だった。外でひとに教えるような時にはともかく、家でヨガをする時には、エレーヌはまったくといっていいほど音を立てないで行っていた。いるのかいないのか、わからないほどだった。本や書類がいっぱいの部屋の端で、片付ければもっと広くも使えるのに、そうすることもせず、一畳か二畳ほどの狭い空間の中で毎日ヨガをしていたが、呼吸を鋭くすることもなく、息を切らすこともなく、静かにポーズを組んでは解き、べつのポーズに移っていった。たまに、裸足が畳に擦れる音がするということはあったが、それが消えると、また、静かな動きだけが続いた。
そんなエレーヌを見ていると、もっと音を立てて生きてもいいのに、と思わされることがあった。この世では音もひとつの要素で、踏む素材によっては足音が立つのもしかたがない、むしろ、立てる権利さえあるといってもいい。そう思い、なんどか言ってみたこともあった。彼女の答えはまちまちで、私はこういうほうがいい、と答えることもあれば、もう慣れましたから、と言うこともあった。
お化けのように歩くのが好きです、お化けのようにこの世とは接する、というようなことを言っていたこともあった。エレーヌらしい考え方で、なんでもないようでも、彼女の好きな様々な神秘主義者たちの言動に通じていく言葉だった。
神秘主義者のうちでも最たる者たちであるインドのヨギたちの世界には、さまざまな不思議な話があるが、こんな話も伝わっている。
肉体を持たないある有名なヨギは、夜や夕暮時にごく稀に修行者たちの前に姿を見せたそうだが、「昼の明るさは、私には重過ぎてとてもではないが耐えられない。光のカーテンが薄く、軽くなる時なら、もっと容易にめくって出ても来れるのさ」と言っていた。光というのは、通俗的な宗教イメージでは、やみくもにひたすら良いものと捉えられてしまうことが多いが、もっと繊細な感性でこの世やあの世の神秘の中に入り込んでいこうという人たちは、光というものの害を無視できなくなっていく。闇が持つ独自の明るさをじかに感じとれるようになり、それがおのずと描く道筋を辿れるようにならなければ、死や無を超えて意識の継続を維持していくことなどできない。これは、神秘家たちにとっては常識でもある。
エレーヌは光を嫌ったが、このことは、音を立てないことにそのまま繋がっていたに違いない。
多くの人が嬉しく思うような太陽の輝きや、からっと晴れ上がった日などを、エレーヌは嫌っていた。女性ならば、陽光や晴れあがりを、すぐに日焼けということに結びつけて避けてしまおうとする人たちもあるが、エレーヌの場合はそういうものとは違っていた。つよい明るい陽光には、なにか息の詰まるものがある。彼女が持っていたそういう感覚は、どうやら生来のものだったように思える。神秘家たちの性向を見習ってそうなったというわけではなかったらしい。
つよい陽光を見ると、前世のどれかで核爆発に巻き込まれて死んだ記憶が蘇るので怖い、と言っていたこともある。エレーヌは、生まれ変わりや前世、来世というものを完全に信じていたし、自分の過去世を知るためのさまざまな試みも現に行ってみていた。そういう試みから得られる事柄を信じ込むことはなかったが、かつて自分は核物理学者のようなものだった気がする、とは言っていた。実験中に誤って爆発を起こして死んだのだと、よく言っていた。
日本の梅雨が大好きだったのも、そんな陽光嫌いから来る部分もあった。太陽が出ず、雲が空を覆って雨が降っているのを本当に喜んでいた。冬のヨーロッパの陰鬱な曇り空も大好きだったし、同じような印象を描き出してくれるニコラ・ド・スタールの絵や、マーク・ロスコの絵なども大好きだった。
エレーヌの好きだったエミリ・ディッキンスンEmily Dickinsonの詩句に、「私の未来がしずかに階段をのぼる」という部分がある。
授業をする時などは「しずかに」など語ってもいられなかったはずだが、ひとたび家に帰り自分だけの時間に戻ると、必要以上に「しずかに」動き、歩き、他にはだれもいない家の中で、ほとんど息をひそめるようにしていたのがエレーヌだった。
そうしながら、やはりディッキンスンの詩句の言うように、「私は可能性のなかに住んでいる」とでもいう思いを確かめ続けていたのでもあろうか。
このようにエレーヌのことを思い出し始めると、終わりがなくなる。ディッキンスンの詩句を出したついでに、この文は、この詩人の他の詩句を引くことで終えたい。エレーヌも好きだったし、亡くなった今となっては、彼女を思うのにもふさわしい箇所を。
This world is not conclusion;
A sequel stands beyond,
Invisible, as music,
But positive, as sound.
It beckons and it baffles;
Philosophies don’t know,
And through a riddle, at the last,
Sagacity must go.
この世界で終わりではない
続きがむこうにある
見えない、音楽のように
が疑いようもない、音のように
それは手招きし、挫く
哲学ではわからないから、
結局、謎のなかを、
智慧は通って行かねばならない。
(2011年3月1日)
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