猫を抱いて、エレーヌの友人たちにとってはお馴染みの姿。 これを見ていると、すぐにも近くにやって来そうで、もういなくなってしまったとは思えない。 この猫は、文中に出てくる“リスちゃん”ではないが、名前はなんだったか… |
エレーヌが末期ガンと告げられたのは2009年の5月20日だった。
友人の於保好美さんと5月の連休に出かけ、バーベキューで焼肉を食べた。おいしく食べたというが、その数日後に、下半身の浮腫がひどくなった。
あまり肉を食べない彼女なので、食べあわせの問題でも起こったのかと私は考えた。そうかもしれない、とエレーヌも答えた。
5月15日(金)の夕方、三軒茶屋の西友でエレーヌと会い、その週の火曜日より始まったという両足と下腹のむくみについて、直接話を聞いた。妻も合流した。若林に住んでいる於保さんに連れられて行ったクリニックで検査を受けたが、X線で見るかぎり、水が溜まっているものの、他の異常は認められないと言われたという。しかし、駒沢の東京医療センターに行くよう勧められた。
西友がまだウォールマートふうになる前の店構えの頃で、無駄なスペースもあるものの、どこか長閑さのある雰囲気が各階に残っていた。一階には総菜屋がならび、飲料の自販機がならんでいた奥には、客用の簡易テーブルとイスがあって、小さな子供を連れた母親や老人のひとときの休息の場になっていた。エレーヌと私は買い物に疲れると、よくここで休憩し、同じフロアのパン屋で買った菓子パンを食べたり、缶コーヒーを飲んだりした。エレーヌはこの頃までの西友を好んでいたが、改装されてウォールマートふうになってからは、非人間的になったと嫌い、病気になったこともあったが、ほとんど行かなくなってしまった。
急に降ってわいたようなエレーヌの体調の異変について、少し詳しく聞いたのも、今はもうなくなってしまった西友のこの小さな休憩所でだった。
とにかく精密検査に向けて日程調整などしていかねば、ということで話は終わったと思う。その後、エレーヌはいつものように歩いて、キャロットタワーと西友のあいだの道を辿って代田の自宅まで帰っていった。
翌日16日(土)、於保さんより電話があり、クリニックの見立てでは、最悪の場合、ステルス性胃ガンの可能性も、と聞く。夜、エレーヌ宅に行き、腹水の溜まった様子や足のむくみを確認した。
この夜、人から貰ったものの、パンやミルクが多過ぎるというのでおすそ分けされ、さらに、近月分の水道代の支払いを受ける(エレーヌの水道代は私の口座からの引き落としになっていた)。
貸してあったアニエス・ヴァルダの映画『5時から7時までのクレオ』のビデオも返してもらった。
病気発覚のこの時期、気になった不思議なことのひとつに、このビデオがあった。
4月にこのビデオを図書館から借り出して見た私は、返す前、興味があるかとエレーヌに聞いた。昔見た映画だが、ひさしぶりに見直したいとエレーヌは言うので、4月19日(日)に彼女の家に行って置いてきた。
この時、同時に、当時の経済政策だった定額給付金(全国民に12000円を給付するというもの)の振込指定の用紙をエレーヌのために記入した。
辞去する際、エレーヌ宅の玄関で使った鉄の靴ベラが滑り、左手人差し指を異様なほど大きく切ったのを覚えている。数カ月ほど、傷が残った。いまから思えば、エレーヌの生活に起こる大きな異変に、私の手がはじめて触れたかのようだった。
先触れといえば、この時の冬、エレーヌ宅の玄関近くの廊下に並べていた小鉢のポトスが、すべて根腐れして枯れてしまうということがあった。
エレーヌは家の中に観葉植物を置くようなことをあまりしなかったが、私は、家の中が殺風景に過ぎて、もう少し生気を入れないといけないと前年に感じていた。私の家にポトスが繁茂していたので、切り取って数株の小鉢を作り、エレーヌ宅の玄関の棚の上に置いた。台所の窓辺には、トルココーヒーのガラスのカップや、もうひとつ別のコップに挿し木したものを置いた。全部で五つほどになったが、これで、エレーヌの家の中に少しはみどりが見られるようになった。
玄関の棚は陽の当らない場所なので、そこのポトスが根腐れしても不思議はない。しかし、毎週のように見ているものが急にダメになったのを見て、奇妙な思いを持った。なにか、悪いものが通過したのではないかとエレーヌと話した。
映画『5時から7時までのクレオ』では、体調に異変を覚えたパリ住まいの女性ポップシンガーが診察を受け、ガンの疑いが出る。
生体組織検査の結果を待つ間、自分がガンかもしれないという恐れと孤独と虚無感を抱いたまま数時間を過ごすが、そういう思いで歩きまわるパリが、これまで見たことのないようなまったく別の風景として捉えられる。彼女はしだいに自分を取り戻し直し、たとえガンだったとしても病気に立ち向かっていこうと決意して、医師に会いに行く…
よりによって、末期ガン宣告がなされる直前に、エレーヌの手もとにこういう映画ビデオが到来し、彼女は自ら望んでこれを見直していたことに、私は強い印象を受けた。私にこれを返却した後、ひと月もしないうちに、エレーヌはヒロインと同じ状況を経験することになったのだ。
偶然だろうとは、もちろん言える。しかし、急に根腐れしたポトスのこともあったし、他にも気になることがあった。
この年の初春、私は食道から胃に違和感を感じていた。大した症状があるわけでもなく、事実、初夏になって検査した結果、小さな胃炎だったことがわかった程度だが、しきりに「ガン」という思いが浮かんでならなかった。
ガンが近づいている、もうガンになっている、という思いが、波のように寄せて来る。自分が知らず知らずのうちにガンに罹っていて、それがついに発現してきたと感じていた。
検査をするわけでもなく、結果が出たわけでもないのに、いま送っている自分の生活をどう整理しようかと思いが進んだ。不思議なもので、なんの結論も出ていないのに、そういう考えだけがどんどん進む。数カ月をこうした精神状態で過ごした。
エレーヌに相談した。もちろんエレーヌは、この時点では、まだ自分がガンとわかっておらず、なんの不調も出ていなかった。人びとには隠していたし、私が口外することも厳禁されていたのだが、エレーヌはかなり精度の高い霊的認知の能力を持っていたので、こうした問題が起こった際には、いつも尋ねることにしていた。神秘主義と心霊全般への強い関心をを分かちあうごく少数の友人たちのみがこの能力の恩恵に浴していた。
私の症状はガンではないし、他の病気でもない、との結論をエレーヌは得た。後の検査でこれは証明されたわけだが、しかし、こんなことがあったために、この時点で、私の意識のなかに初めて「ガン」というものが強く入りこんできた。ガンに罹ることになったのは私自身ではなかったわけだが、この後2年にわたってエレーヌのガン治療一色になっていく私の近未来の時間と意識が、いま思えば、この時に始まっていたという気がする。
2009年5月、ガンによる異状の出始める直前から、 ガン告知を受ける頃までのエレーヌの手帳の記入ぐあい。 |
予兆やシンクロニシティとも呼べるようなものが、こうして、現実のガン告知の周辺で起こっていたのだった。
細かく思い出せば、他にもいろいろなものがある。なかでも、3月11日に見た奇妙な雲の出現は忘れがたい。
30年もの間、毎年、エレーヌの確定申告は私が行ってきた。複数の大学やカルチャーセンター、時にはNHKのフランス語講座への出演や録音、外務省での授業など、いろいろな収入先があったため、彼女は確定申告を行う必要があったが、金銭面での計算や事務作業がとにかく苦手だったため、私が代行するかたちになっていた。私はこの時期になると、自分の確定申告に加え、エレーヌのものも請け負うので、毎年、忙しく辛い思いをした。
この日、エレーヌの確定申告書類をようやく作成し、彼女の住まいの税務署に当たっている梅ヶ丘の北沢税務署まで、私の自宅のある三軒茶屋から歩いて行った。途中、光明養護学校前で、ふと北の空を見ると、三つ巴の龍が輪を作ったような奇妙な雲が出ているのに気づいた。しかも、空高くではなく、すぐ近く、ビルの屋上ぐらいのところに出ている。驚くほどはっきりとかたちを成しており、なにかの表象のように見え、ふつうの雲には見えなかった。他の人たちは気づかないのだろうかとまわりを見まわしたが、税務署に行き来する人たちで人通りの多い歩道なのに、誰もその雲を見ていない。誰かに話しかけようかと思ったが、ヘンに思われるかもしれないと思い、やめた。
立ちどまって見続けるうち、雲はだんだん薄れてきたが、この頃になってようやく、当時使っていたPHSで撮影しておこうと思い立った。撮ってみたが、すでに薄れてしまっており、その上、拡大写真が撮れない機種だったので、いちおうかたちがわかる程度にしか写真には残せなかった。
2009年3月11日に梅ヶ丘で目撃した三つ巴の龍の雲。 すでに消えかかっているが、中央にまだ名残が見られる。 |
この不思議な三つ巴の雲は、かならずしも悪いなにかを予兆するものとは思えなかったが、特別ななにかを知らせようとしているのではないかとは思われた。
税務署からの帰路、エレーヌの家に寄って申告書の控を渡し、コーヒーを入れてもらい、ちょうど家にあった肉まんをいっしょに食べた。帰りがけには、パンやチーズをもらった。
税務署からの帰路、エレーヌの家に寄って申告書の控を渡し、コーヒーを入れてもらい、ちょうど家にあった肉まんをいっしょに食べた。帰りがけには、パンやチーズをもらった。
どうということもない些事だが、今となっては、平穏だったエレーヌの日々の最後の頃の思い出のひとつとして記憶に残っている。
ところで、ガンとわかる前、4月11日、エレーヌは馴染みのネコを失っている。“リスちゃん”と呼んでいた雌の野良猫で、長いこと、エレーヌの家のまわりに来ていた。尻尾がとても長い点でもリスのようだったが、茶色の胴にシマリスのように白いぼかされた筋がいくつか入り、いつもスリムで、きれいな猫だった。なんどか出産したが、それでも体型も敏捷な身のこなしもかわらなかった。15歳ほどではないかと推定されていた。
10日ほど、豪徳寺のアイリス動物病院に委ねられ、穏やかに死んだ、とエレーヌの手帳には記されている。
たくさんの猫を世話してきたエレーヌだが、この“リスちゃん”との別れは、特に悲しかった別れのひとつだった。
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