(エレーヌ・グルナック こんなこと 6)
雪の奥吉野山中を行くエレーヌ。 タヌキだろうか、キツネだろうか、小さな足跡が右についている。 1999年12月28日。 |
駿河 昌樹
(Masaki SURUGA )
2013年1月14日、東京としてはひさしぶりの多めの雪になったが、1999年に最後にエレーヌと奈良・飛鳥・吉野を訪れた際にも、雪に見舞われた。
二上山に上った時にも途中から吹雪になり、それほど雪量は多くなかったため問題はなかったものの、大津皇子の墓所として名高い山で、吹雪で見通しのきかない中を上り下りするのは、なかなか珍しい経験となった。
それよりもさらに印象深かったのは、12月28日、雪の降った後の吉野に上って奥千本を抜け、西行庵まで行った時の行程だった。
普通ならマイクロバスで奥千本入口まで乗り、そこから金峯神社に上っていくのが便利だが、前日に降った初雪のために、この日はバスが途中の竹林院までしか行かなかった。
そこで降り、上千本の山道を上って行ったが、年末も押しせまり、初雪の後ということもあって、まったく人に出会うことのない雪の山道だった。さいわい、天気だけはよく、青空に向かって山の杉が伸びる中、時どき木から落ちてくる雪のかたまりだけが音を立てる他は、ほとんど音のすることのない吉野行となった。自分たちの息や靴で雪を踏みしめる音だけが響くが、雪の中ではそれらもすぐに吸われてしまい、無音が支配する。
道にはよくタヌキやキツネのもののような足あとがついており、時どきは鹿かイノシシかの足あともある。無心で歩いている目の前を、急に山鳥が横切って、驚かされることもあった。桜の頃や紅葉の頃なら人で混む道だが、誰にも出会わずに雪の降り敷いた山中を歩き続けていると、夢心地のような、どこか悟りのような、不思議な感覚になってくる。どこにいても誰かに上から見られているようで、こういうところには本当に天狗がいるかもしれないとか、山の精霊が方々から見ているのだろうとか、エレーヌと時おり話しながら進んでいった。
山道の途中の祠の前で。1999年12月28日。 |
そうするうち、吉野水分(みくまり)神社に着き、趣のある、どこか怖い不思議な魅力を湛える境内をゆっくり見てから、金峯神社へと進んでいく。
吉野水分神社にて。1999年12月28日。 写真にある日付は9月になっているが、カメラの故障によるもの。 |
吉野金峯神社。1999年12月28日。 |
奥吉野に行った人は知っているだろうが、金峯神社に上っていく急坂は、それまでの長い山道を登ってきた身には相当にこたえる。まして、雪が降り敷いているとあっては、滑らないように登っていくのはかなりの苦行になる。最近は、この道の両側の杉木立が伐採され、視界が開けて明るくなったが、1999年当時はなかなかうっそうとした木立があり、人里離れた吉野の山奥で雪の中を登っていると、精神的にさらに不思議な状態になっていく。雪の中を、誰にも出会わずに竹林院から歩いて登ってきただけでも疲れており、気持ちもいくらか普通でない状態になっているところへ、金峯神社への雪の急坂、そして大きな杉の木々にずっと視界を遮られ続けるとなると、深山幽谷に近いところへやって来ているという気分は頂点に達してくる。
エレーヌは、しかし、二上山でもそうだったが、雪が降り敷いていようが、山道をけっこう楽々と進んでいく。身体が軽いからだろうが、足腰はかなり強かった。パリでの学生時代、メトロやバス代の節約を兼ねて、パリの中ならどこへ行くにもほとんど歩いたというし、東京でもほうぼうを歩いてまわっていたが、そういう点の体力は並々ならぬものがあった。それにもかかわらず、68歳でガンに倒れることになるとは…とも思うのだが、考え方を変えれば、そうした体力があればこそ、あのようなリハビリでの頑張りを見せたのかもしれないし、死の前日まで、補助器具を使いながらではあっても、洗面所やトイレに歩いて行くような力を保っていたのかもしれない。
金峯神社からしばらく行くと、西行が住んだという西行庵に着く。しかし、普通でもなかなか大変な滑りやすい細い下り道で、雪道ともなると、かなり危ない。注意しながらなんとか下り、たどり着いた。
西行庵の前には広場があり、やはり一面の雪で、しかも誰も来ておらず、足跡ひとつない純白が広がっていた。ここから遠くの山々をしばらく見渡す。雪があらゆる音を吸い、さらに、山々の遠さも音を吸うようで、雪を踏んで歩く音が、すっ、すっと消えていく。
ここまで来るのはたいへんだったが、雪といい、出会う人のなさといい、本当に稀な機会を与えられたという気がした。
西行庵に向かう道で。1999年12月28日。 |
西行庵の広場の端に立って。向こうは谷。 1999年12月28日。 |
復元された西行庵の前で。1999年12月28日。 |
地図もあり、道はわかっているので、吹雪でもちゃんと道をたどっていけば大丈夫だと考えて進んでいったのだが、どこを間違ったか、しばらく行くと、さっき歩いた場所に戻ってしまっているという奇妙な事態になった。山でよく経験するような堂々めぐりに入ってしまったようで、エレーヌと少し怖い思いになったが、ちょうどそこに自動車が来て止まり、神社にお参りにきたという老夫婦がドアを開けてくれて、吹雪で大変だろうから、途中まで乗っていったらいい、と車に乗せてくれた。
乗せてもらった距離はわずかだったが、見覚えのあるところで下ろしてもらったので、後は迷わなかった。あれほど大変だった吹雪も、その場所では起こった様子さえなく、山の上の方の一部で起こった吹雪だったとわかった。だんだんと夕暮れの迫ってくる上千本を急ぎ足で下り、土産物屋や食事処などが並ぶ道に入ってきて、ようやくホッとした。
途中、太田桜花堂という店に立ち寄って、お茶を出してもらいながら店主と話をし、吉野名産の吉野葛を買った。
吉野山駅からロープーウエイで下の千本口駅に降りる頃にはすっかり日も暮れていた。暗くなった駅から、人もほとんど乗っていない列車で奈良へと発った。
吉野中千本あたり。むこうに如意輪寺が見える。 1999年12月28日。 |
吉野中千本あたり。1999年12月28日。 |
吉野のものではないが、この旅の際の、他の場所の写真もいくつか掲載しておくことにする。
奈良、長谷寺回廊で。1999年12月25日。 |
飛鳥、酒舟石で。1999年12月26日。 |
飛鳥、亀石で。1999年12月26日。 |
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