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(パンの写真はルヴァンのHPより借用)
駿河昌樹
(Masaki SURUGA)
1980年代、正月には無農薬の食材や無添加の食品を買うことにしている店が閉まってしまうので、エレーヌと私にとって、年末の買い出しはそれなりに忙しかった。
(Masaki SURUGA)
1980年代、正月には無農薬の食材や無添加の食品を買うことにしている店が閉まってしまうので、エレーヌと私にとって、年末の買い出しはそれなりに忙しかった。
私たちが夕食で食べるのは、山盛りのサラダ、ほとんど味なしの根菜類蒸し(ほとんど水を加えずに、密閉した鍋の中で野菜から出る水分だけで蒸すもの。食べる時はそこに塩や胡椒をかける)、白身魚やササミに簡単に熱を加えたもの、さらに、玄米や蕎麦粒、ハト麦、インディアンの食べるワイルド・ライスなどだったが、昼食や勤め先に持って行くランチとしては、全粒粉を使って焼いた重く固い角パン、パン・ド・カンパーニュ、ライ麦パンなどが多く、これらはたいてい、下北沢のナチュラルハウスで買っていた。たしか、ルヴァンという製パン所から入荷するものが中心だった。やはり下北沢にあった、サン・ジェルマンのパン・コンプレも定番だった。
1980年代の正月頃は、商店街の店が3日も4日も休んでしまうのがふつうで、店が始まっても商品が揃わないことも多い。私たちが食べていた欧風のパンは、大量生産でないこともあって、年明け一週間ほどしても、まだ入荷しないこともあった。
そのため、年末の30日や31日には、これらのパンをたくさん買い集めるのが大事になる。生産は29日頃で終わるので、30日頃にだいたいは手に入れ、31日には売れ残りを予備のために買い集めるという感じだった。
なにぶん品数が少ないので、クリスマス前には予約を入れておく。だいたい、ふたりで一日250グラムから300グラムを食べる計算で、1500グラムぐらいの分量以上を買っておく必要があった。そうすると、当時一般的だった250グラムの塊を6袋は買っておく必要があり、これが、他の買い物と合わせるとなかなか嵩張った。下北沢で買い物をすると、池ノ上に住んでいた私たちは、買い物袋を提げて15分から20分ほどかけて歩いて帰って行ったものだが、年末の買い物でなくとも、レジ袋の取っ手が細く捩じれて掌に食い込むほど重い量を提げて帰っていくことは多かった。
正月の食事も、私とエレーヌの場合、いつも通りでほとんど変わらなかった。一年を通じて、朝はフルーツ、ヨーグルト、コーヒー、全粒粉パン、ソビエトやオーストラリアやニュージーランドの蜂蜜、値段の高めの輸入ジャムなどだったが、正月も同じで、雑煮やおせちが加わることはなかった。
エレーヌは確かに、豆腐や納豆などの日本食が大好きだったが、実際に自宅で食べる様式は、けっして日本式ではなかった。白米は嫌いではないが、家には一切なかったし、味噌汁は好きだったが、作らなかったし、そもそも味噌を買わなかった。焼魚は好きだったが、私が焼いてやらないかぎり自分では作らなかった。漬物は食べなかった。懐石料理も天ぷらも好まなかったし、日本風の洋食も好まなかったし、鰻は嫌いではなかったが、あの脂っこさが苦手で、半分も食べれば十分だったし、だいたい御飯のあの量には辟易していた。
こんなふうにふり返ると、エレーヌの日本食好きは、じつは豆腐や納豆、少量の蕎麦、魚料理などに限られていたのがわかる。それらを、サラダや蒸し野菜、全粒粉のパンに合わせて食べるのを好んだのだから、全体としては日本食とは言えない、エレーヌ流の無国籍な食べ方になっていた。
2000年以降、エレーヌが肉食やカレー、ファミレスの料理などを意外と好んでいた、と言う友人たちがいる。私は疑わしく思っている。というのも、そうした外食の後、エレーヌは私に、「たまに外食する時は悪いものも食べます」などと言っていたからで、あくまで相手に合わせてのことだったからだ。不機嫌な顔を惜しげもなく見せられる私のような相手と食べる時、エレーヌは食べるものの内容にうるさく、脂ぎったものや栄養価の低いものを極力避けようとした。いっしょに旅行する時にはこれがよく難儀の元となったし、都内でちょっと買い物に出たり、映画やコンサートの帰りなどに食べる際にも問題となり、どこのレストランに入るのも嫌がるので、私のほうが怒って、もういいから、食べないで帰ろう、などとなることもたびたびだった。ガン宣告をされる頃まで、これは変わらなかった。そのため、同じ時期に、他の友人たちと洋食ふうのレストランに平気で入っているエレーヌの話は、私にはほとんどフィクションのようにしか受けとめられなかった。
とても際立った、はっきりした個性の持ち主であるエレーヌだったが、ずいぶんと自己を殺して相手に合わせる部分も大きく、食事ひとつにもこんな演技を続けていたということなのか、と思う。
2000年に入ってから、別に住むことにしたエレーヌの家の寝室の奥に、ワインやビール缶などがたくさん貯め込まれるようになったのに気づき、エレーヌに理由を聞いたことがある。ワインにしてもビールにしても、エレーヌはせいぜいレストランで、その場の雰囲気上のつき合いで、ひとくち口をつける程度で、家でひとりで飲もうとまで思うようなことは一度もなかったからだ。家に来る友だちがビールやワインが好きなので、用意しておいている、その人たちの家に行く時には持って行く、とエレーヌは言っていた。
そこまで、まわりの“お友だち”に合わせないといけないほど、日本社会の中でひとりきりになるのを恐れているのか、そんな必要はないのに、と私は思ったが、こういうのがエレーヌでもあった。
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