2015/12/06

人づきあいもガンの理由

     
末期ガン宣告の前の桜の頃。
いま見れば、存在の希薄化が感じられるような。


1999年、フランスのトゥール近くの田舎道で。
生涯、自転車はあまり乗れず、水泳もできないできた。
ここで自転車を教え、はじめて長く乗ることができた。

  
 駿河昌樹
  (Masaki SURUGA)
 

  生まれつき体の丈夫だったエレーヌがガンにかかった理由は、いくつか考えられる。
 なにより、健康への本人の過信。
 そこから来る過労。
 睡眠不足。
 低めの体温。
 体内でひそかに進行していた卵巣の異常。
 すぐに寝つけなくなるような神経質さと過敏さ。
 怒りやすさ。
 他人は気づきづらかったが、けっこう恨みがちで、内に溜め込む性質。
 人づきあい。
 そうして、意外かもしれないが、次々と終わりのない猫たちの世話。

 これらについては、以前からメモしておきたいと思ってきたが、時間がないので書けないでいる。
 それでも、少しずつ書いてみておこう。

 「人づきあい」については、意外に思われるかもしれない。
それが原因?、と。
 しかし、心身の深い休息のためには、すっかりひとりになる時間を十分持つことが大事だというのは、最近の研究で明らかになった。
 気の合う人としゃべりながら寛ぐのでは、いけない。どんなに仲のよい人が相手であっても、神経は刺激を受けたままになる。完全にひとりになって、対人的な刺激をすべてシャットアウトしなければいけない。そういう時間を、毎日、十分にとらなければならない。毎日が無理でも、週の中で見つけてとらなければいけない。
 エレーヌは、フランス語を教える仕事の場では、たくさんの人たちに会い続けていた。それ自体は問題ない。仕事なので、あたり前のことでもある。オフタイムに、ひとりになる時間を十分にとれさえすれば、かまわない。
 ところが、帰宅後や休日、エレーヌはひとりになる時間が少な過ぎた。
 エレーヌが帰宅すると、なにが起こったか。
フランスや日本の友人たちから電話がひっきりなしにかかってきた。夜には、近所の猫仲間との交流もあった。近所の猫たちにエサをやってまわったり、病気の猫たちを病院に連れて行ったりした。
事務的な電話は短いから、べつにかまわない。しかし、エレーヌには、人生相談の電話のかかってくることが多かった。彼女は精度の高い占い能力を持っていたので、それを知っている友人たちがいろいろな人生上の問題をもちかけてきた。ついでに話をすれば、ひとり相手の電話はすぐに30分を超過する。ひとりが終わると、次がかかってくる。また30分、40分と経つ。電話が終わると、猫の世話に外出したり、帰宅すると、2時や3時頃まで、頼まれた問題の占いに時間を割く。それでいて、朝から仕事に出ないといけないことが多かったので、7時頃には起き出る。そうして、ヨガをやる…
結局、毎日の睡眠時間は3、4時間というのがふつうだった。
なんとなく、かかってくる電話や人づきあいを受け入れ過ぎてしまう。エレーヌにはそんなところがあった。これ以上は無理、と拒否することができない性質だった。
ガンで衰弱して、病院で寝たきりになった時でさえ、フランスの友人や家族から電話が携帯電話にかかり、誰もがエレーヌの心配をして、病状を聞きながらも、30分ぐらいは平気でしゃべり続ける。私がそれを阻止して、病状は私のほうに聞いてきてくれ、と壁を作った時には紛糾した。結局、友人や家族たちはエレーヌにじかにかけ続け、エレーヌを衰弱させ続けた。「電話をかけてくること自体が、私を弱らせるのに、誰もそれがわかっていない」とエレーヌは私に言うのだったが、ならば出なければいいのに、と助言しても、電話に出てしまうエレーヌがいた。

こと、フランス人の友人については、エレーヌは恵まれなかった。フランスにも日本にも、ろくな友人がいなかった。
忙しい日々を送っている彼女に、夜な夜な電話をかけてきて、体力も時間も費やす占いを頼むような友人が、よい友人だろうか。
大病で憔悴している時に、長々と電話をしてくる友人や血縁が、はたしてよき人々だろうか。
こういう点で、どうしようもない友人や血縁にエレーヌは取り囲まれていた。頼られるのを好んでしまうところが、エレーヌにはあったのも事実だろう。いつわりの友情やつながりを、いまひとつ見抜けなかった。エレーヌの弱さが、ここにあった。

日本人のエレーヌの友人たちにも、言いたいことはいっぱいある。
私は、五年間、それをわざと言わないできた。
そろそろ言い始めようと思う。
月曜日から休みなしに金曜日まで働きづめのエレーヌには、完全にひとりになる時間が、誰からも連絡も来ない時間が、もっともっと必要だった。私はそれをわかっていたので、エレーヌから電話がこなければ放ったらかしておくことが多かった。このブログにも時々書いたが、1983年以降、日本でのエレーヌという人間の演出は、私がすべて行ってきた。演出家が俳優を放ったらかしておくのも、本当にそれが、空白を持つことが必要だとわかっていたからだ。
猫に全く関わらない時間を、ちゃんと確保してもらいたかった。
帰宅してからは、夜、就寝までひとりで、なにもしゃべらずに暮らしてほしかった。
土曜日にヨガを教えに遠出などしないでほしかった。
これが私の本音で、エレーヌが元気な頃から、時々、本人に言ってきていたことだった。
世田谷から神奈川までヨガをやりに行くのが、一週間働きづめの体にとって、どれほど負担になるか。もちろん、エレーヌ自身が理性的に判断すべきことだったが、残念なことには、彼女はそういう点で理性的ではなかった。

猫にかまけたり、遠出してヨガを教えたりするのもいいが、その前に心身を十分休める時間を取ってほしい。
ずっとエレーヌにこう勧めてきたが、彼女は体の耐久度を甘く見ていた。
猫の世話をもっと減らすように勧める私を、心ない冷たい人間だと言うこともあった。猫たちの世話をやめたら、野良猫たちはどうするのか?とエレーヌはよく私を批判した。
「でも、いずれ歳を取ったり、病気になったりして、あなたは、月に何万円も費やすような猫の世話を続けられなくなる。その時、猫たちはどうするの?今のあなたの生活のしかたでは、そういう時が来る可能性がある。未来のその時点での猫たちは、どうするの?今、あなたがもっと世話を縮小して、あなた自身が健康を維持して、少しずつ世話をしていくのだって、悪くないじゃないの?」
 私のこんな反論には、エレーヌはもちろんうまく答えられなかった。
ヨガについては、それをやらない私には理解できない、と言い張った。
とんでもない。80年代、ふたりの住まいをアシュラムのようにして、毎日エレーヌとヨガをやり続けた私が、理解できないはずはない。ヨガもけっこう。でも、たったひとりで、誰もいないところでやったらいいだろう。ヨガはそういう時こそ、本当に聖性を帯びてくる。
私は、エレーヌが続けていたような西海岸ふうの精神世界の流儀を離れて、菜食主義を捨て、ヨガを捨て、ヒッピーふうの共同生活志向を捨て、「なにを飲み、なにを食おうと、思い煩うな」というイエスの教えに、むしろ徹底して素直に従って、全く別の修行に入っていたに過ぎない。繁華な都市のさなかを歩いていても、うるさい工事現場にいても、さまざまな邪念の渦巻く歓楽街にいても、なんの損害も受けない魂にならなければいけない。静かな清浄なところでのみ何者かでありうるような、脆弱な過敏症行者では意味がないのだ。
2000年以降、エレーヌには、ヨガよりもむしろ、歳をとるにつれていっそう必要になる筋肉をつけるトレーニングを勧め、それによって体を温めるのを勧めたが、エレーヌはまじめに受けとらず、やらなかった。ヨガに打ち込んで菜食になった人たちは、まず長生きしない。生物としての人体の条件や本質をもう一度見直すように、というのが私の勧めだった。『バガバッド・ギータ』で、戦争で人を殺すことなど恐れるな、とアルジュナに説いたクリシュナ神のような思いがあった。もちろん、なにをしようと、どう生きようと、どのくらい生き長らえようと、すべては悦ばしき空無にすぎないという前提で、生などはじめから終りまで冗談にすぎないと見越した上でだったが。





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