駿河昌樹
(Masaki SURUGA)
エレーヌの血液型はAB型のマイナスで、非常に珍しいものだった。
国の公衆健康人口省の輸血国立センターが発行した1974年3月19日の血液型カードが残っている。住所はパリのドラゴン通り(Rue du Dragon)21番で、イレーヌ・メニユ夫人の住まいになっている。エレーヌはパリの何か所かにアパート住まいをしたので、この時、メニユ夫人の家にエレーヌが住んでいたかは不明だが、日本留学の近づく頃は、メニユ夫人の家を公的な住所としていた。
3枚目の記録は、2000年(平成12年)6月10日に献血を行った時のもの。
エレーヌは、健康状態を知るためか、よく献血をしていた。この時の記録は、どの数値も標準値を示している。
これは、エレーヌが住んでいた世田谷区代田の医院、菅外科整形外科での診断である。
どういう経緯で診断を受けるに至ったか、今となってはよく覚えていないが、たしか、レントゲン結果を提出する必要に迫られたか、わずかの身体的支障があったかしたのではないかと思う。
この医院の隣りに、私が書斎とし、後に住まいとした部屋のあるマンションがあったため、エレーヌもたびたびその周辺に来ていた。エレーヌの住まいからも4、5分ほどの近さだった。そのため、地元のこの医院に行くことにしたのだった。
2000年にはエレーヌは57歳で、以下の世田谷区健康手帳に記録された数値からわかるように、健康そのものだった。総コレステロールの数値が少し高めだが、コレステロールについての見方の変わった現代でならば、問題ともされない数値だろう。
これらの数値を私に見せながら、自分の健康状態が良好であることに、冗談っぽいそぶりでとはいえ、エレーヌは誇らしげだった。この後、6、7年ほどは、住まいにひとりだけで暮らし、自由な時間の使い方をしながら、完全な健康体でエレーヌが東京の生活を謳歌した絶頂期だったと言えるだろう。
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