エレーヌ・セシル・グルナック
(駿河 昌樹 訳)
小さかったころの夢は、クラッシックバレエのダンサーになること。
つま先で、はやく、とってもはやく、廻りたかった。サテンのトウシューズをはき、ダイヤモンド(もちろん、ニセの!)の飾りのついた白いバレエのスカートをはいて。
マリー・キュリーのすばらしい人生について読んでからは、原子の研究がしたくなった。
いまでもこの情熱はわたしのなかに残っているけど、残念なことに、わたしは彼女みたいな偉大な物理学者にはならなかった。
そうして成長していくうち、世界一周を夢みるようになった。
フランスは小さ過ぎ、わたしに近過ぎ、ありきたり過ぎて。
だいたい、フランスの地理についてはまるでダメだったし。
わたしに興味のあったのはアフリカ、アジア、……あぶなくて、魅惑的だと想像していた遠い国々……。求めていたのは大冒険、近づきがたいもの……
以来、そう…、ずいぶん旅をした… ほんとに。
いまでもバレエを見に行くのは好き。原子にも、前と同じように夢中だし。
……でも、わたしはおりこうさんにしていて、教える仕事なんかしている。みんなと同じように、シンプルに生きている。
税金も払っているし、家賃だって… だれにでもあるように、浮き沈みだってあったし。
でも、こんなふうでいいじゃない、とっても? ね?
【管理者の注】
Mes Rêvesの日本語訳。原文にない改行を施した。
たくさんの書類やメモ類の中から見つかった授業用ディクテの文案で、実際にこのまま使用されたか、修正された上で使用されたかはわからない。授業用のものは、使い終わればふつう捨てられたが、これだけは重要な書類をおさめた箱の中に残されていた。
書かれていることをそのまま真実と受けとるわけにもいかないが、エレーヌ・セシル・グルナックは多くの友人たちに、このような内容のことを語っていた。
バレエへの関心は実際につよく、ソビエト留学時、ボリショイ・バレエ団関係のバレエ学校で学んだこともある。その時出会ったフランス人バレエ教師たち数人とは、ながく交友関係が続いた。
バレエ関係の写真集もよく買っていた時期がある。
フランスの地理には実際まったく興味がなく、有名な地名の場所がどこか、わからないこともあると語っていた。ともに旅をしていると、確かに河や海の名がわからないことがあったし、河がどの地方を流れてどこに向かうかなど、まったくといっていいほど知らなかった。
外国にばかり関心が向くという傾向は、アルチュール・ランボーへの彼女のつよい興味にも繋がると思われる。
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