2017/09/13

エレーヌの血液型と2000年の健康診断


  駿河昌樹
(Masaki SURUGA)


 エレーヌの血液型はAB型のマイナスで、非常に珍しいものだった。
 国の公衆健康人口省の輸血国立センターが発行した1974年3月19日の血液型カードが残っている。住所はパリのドラゴン通り(Rue du Dragon)21番で、イレーヌ・メニユ夫人の住まいになっている。エレーヌはパリの何か所かにアパート住まいをしたので、この時、メニユ夫人の家にエレーヌが住んでいたかは不明だが、日本留学の近づく頃は、メニユ夫人の家を公的な住所としていた。
 
 3枚目の記録は、2000年(平成12年)6月10日に献血を行った時のもの。
 エレーヌは、健康状態を知るためか、よく献血をしていた。この時の記録は、どの数値も標準値を示している。 
 






 次のものは、2000年(平成12年)11月時点の健康診断記録。
 これは、エレーヌが住んでいた世田谷区代田の医院、菅外科整形外科での診断である。
 どういう経緯で診断を受けるに至ったか、今となってはよく覚えていないが、たしか、レントゲン結果を提出する必要に迫られたか、わずかの身体的支障があったかしたのではないかと思う。
 この医院の隣りに、私が書斎とし、後に住まいとした部屋のあるマンションがあったため、エレーヌもたびたびその周辺に来ていた。エレーヌの住まいからも4、5分ほどの近さだった。そのため、地元のこの医院に行くことにしたのだった。
 2000年にはエレーヌは57歳で、以下の世田谷区健康手帳に記録された数値からわかるように、健康そのものだった。総コレステロールの数値が少し高めだが、コレステロールについての見方の変わった現代でならば、問題ともされない数値だろう。
 これらの数値を私に見せながら、自分の健康状態が良好であることに、冗談っぽいそぶりでとはいえ、エレーヌは誇らしげだった。この後、6、7年ほどは、住まいにひとりだけで暮らし、自由な時間の使い方をしながら、完全な健康体でエレーヌが東京の生活を謳歌した絶頂期だったと言えるだろう。







2017/09/06

エレーヌの複数の過去世についての霊能者のリーディング

駿河昌樹
(Masaki SURUGA)


 ひとつ前のページに掲げた、霊能者レイマリ夫人(Madame Leymarie)の手紙のうち、エレーヌの複数の過去世について語られている部分をスキャンし、ところどころ補正したものを載せ直しておく。
 フランス語で書かれているため、読めない方々も多いだろうが、これはエレーヌの霊的な秘密と言えるもので、エレーヌ没後7年の今年、はじめて公開する。
 エレーヌと親交を持った方々のうち、フランス語の読める方々は、これを読むことで、これまで明かされなかったエレーヌの本質部分にはじめて接することになるかもしれない。
 
 エレーヌの過去世についてのこれらのリーディングが正しいかどうか、それはレイマリ夫人のレベルの霊能者でなければ、誰にもわからない。それよりも、ここに書かれていた内容を36歳時点のエレーヌが手にしていたこと、それ以後の人生は、自分の過去世についてのこのような認識をベースにして送られたことに注目しておくべきだろう。

 この文面を伝える手紙と、エレーヌによるタイプライターの打ち直しも、下にふたたび載せておく。


…………………………………………………………………

Les vies antérieures d’ Hélène GRNAC d'après Madame Leymarie
Avril 1977
  
Son incarnation en Asie est fort obscure.Elle fut un homme il y a 500 ans. Prêtre dans un temple, il honora son dieu et ses ancêtres. Il publia un manuscrit d' ésotérisme retracant le chemin de Bouddha à travers l'Inde.Son nom fut vénéré dans les sanctuaires. Offert à dieu très tôt par sa famille, il subit une éducation élevée pendant laquelle il dut affronter les épreuves magiques, matérielles de la loi sacrée. Jeune homme, il libéra très tôt son ame des entraves charnelles et sut s'initier à la Science. Un mystère 1'entoura toujours. Demeura lié au culte toute sa vie. Dons de divination.

Deux siècles après, une autre incarnation assez nulle se profile : femme peintre à 1'aube du 17ème siècle. Médium, elle peignait des scènes assez surnaturelles. Vivait dans un logie sordide. Dut mendier sur la fin de sa vie douteuse dans laquelle elle ne sut pas trouver sa voie, se désaxa. Suicide.

3ème incarnation dans la Chine du Nord au 18ène siècle. Rang élevé: Impératrice. Ses attributs sont nombreux : divination, astrologie, politique. Poursuit des buts élevés pour son pays et sa famille. Obligée de s'enfuir à cause d'émeutes avec ses enfants, elle part vers le Sud, sans être reconnu. Ils vivent un peu en reclus, coupés de tout, ne pouvant s'habituer leur nouvelle condition. Les enfants s'espatrient. Elle demeure seule et vieille. Les révoltes apaisées, elle retourne au palais, mais on la rejette. Elle abdique tout, étant considérée comme usurpatrice. Elle réussit à s'enfuir pour ne pas tomber dans les mains de juge. Elle, termina sa vie dans un cloître de femmes. Aura été impératrice durant environ 2 ans.

Ces incarnations en Orient ont préparé le chemin à parcourir, afin que, présentement, elle se prépare un rôle social dans ces pays, surtout pour l'incarnation qui suit et se fera en extrême Orient. Ses aptitudes grandissent et grandiront encore.Elle peut manier le Yi Ming.

Cette vie est donc un reflet de celle qui va suivre.Bientôt, elle va s'expatrier pour poser ses jalons là-bas. Elle s'infermera de tout, préparera une sorte de thèse. La vie future sera plus riche, car les connaissances de cette vie ne sont que ces connaissances retrouvées. Un homme oriental aura grande importance, d'ici 18 mois.

Autre incarnation en U.R.S.S. actuelle entre la 1ère et la seconde. Gardait un musée avec des trésors. Connaît certains secrets. Le même guide la suit depuis toujours
  
Elle serait actuellement dans son second cycle de vies.


Dans le ler cycle, aurait connu MOISE, lors de sa dernièr incarnation. C'était un vieux sage, initié, connaissant la médecine secrète, et les temples égyptiens. C'était un philosophe qui aimait beaucoup le soleil. Il connut la réaction de l'atome (accident aux membres et surtout aux yeux) (cécité).








ある霊能者とエレーヌの文通記録




画像に含まれている可能性があるもの:屋外


自動代替テキストはありません。

 
      駿河昌樹
  (Masaki SURUGA)


 大学に通うためにパリに出てからは、エレーヌは生涯を通じて、複数の霊能者や霊媒師、占い師たちと交流を続けた。
 神秘主義やオカルトへの興味のきわめて強かった彼女は、みずから進んで、さまざまな神秘主義系の書店を訪れ、また、人づてに聞いた霊能者や霊媒師たちを訪ねた。

 彼らから得られる情報のすべてをエレーヌが信じたとは思われない。しかし、自分の過去世での生まれ変わりがどうだったかに熾烈な関心を持っていたので、さまざまな霊能者たちの視点からこれを見てもらい、複合的に再認識しようとしていた。


 彼女の手紙類の中に残された一部、1977年頃からのものを資料として掲げておく。


 これは、19世紀の有名な霊能者アラン・カルデックAlain Kardec*が、レイマリP.G.Leymarie**と設立したオカルト系を扱う小出版社兼書店の、1970年代の女性店主との文通の一部である。レイマリ夫人Madame Leymarieという人で、カルデックとともに出版社を創った人物の子孫か、子孫の妻らしいのがわかる。(Leymarieは、レイマリと呼ぶのかレマリと呼ぶのかわからないが、それに近い呼び名と思われる)。

 サン=ジャック通りにあるこの書店には、私は1980年代か90年代にエレーヌと寄ったことがあるが、その時も、この文通相手の女性店主が居たかどうか、覚えていない。
 
 文面から見ると、エレーヌはこの人に過去世のリーディングや近い未来についての占いを頼んでいた。パリで会った時に聞くこともあったが、日本に留学後、ここに見られるような文通形態で過去世リーディングや占いを書き送ってもらっていた。
 過去世のリーディングといっても、霊能者がすべてを一気に開示することは普通はない。読解は非常に困難で、霊能者の側の読解のしかたによって左右される事柄も多い。なんらかのテーマをきっかけとして、それによって引きずり出されてくる事柄を理性的に理解し翻訳しようとしていく作業となる。これらの手紙にも、断片的にエレーヌの過去世についてのリーディングが記されている。

 霊能者たちから聞き出した過去世の出来事の数々を、エレーヌは私にほぼすべて語った。

 たとえば、ふたりでフランスの地方を旅行しているさなか、長い列車での移動の間に、どの霊媒師はこう言った、他の霊能者はこう言った…というぐあいに、少しずつ、思い出すままに、私は、ひとりの霊体が今生でエレーヌの人生に辿りつくまでの物語を聞かされ続けた。

 今でも忘れないが、エレーヌがたびたび語った、もっとも印象深い過去世は、核物理学者としての人生である。強力な核兵器の開発のさなか、エレーヌは実験に失敗し、核爆発を引き起こして失明し、大怪我をしたという。その時の衝撃がすさまじいかたちで魂に残り、エレーヌのそれ以後の転生を重いものにした。

 また、どの時代かわからないが、古代エジプトでは重要な秘密を扱う任に就き、それを他言できないように、深い穴に生き埋めにされて殺された。

 これらのエピソードは、神秘なものの好きなエレーヌという女性が、霊能者たちの話を膨らませて作り上げ、それによって自我を支えようとしていたファンタジーであるようにも私には思えていたが、エレーヌ自身の素粒子物理学好きや異常なほどのエジプト好きと合わせて考えると、それなりにリアルに思われたものだった。


 いずれにしても、エレーヌ自身が、ほぼ100パーセント当たる占いの能力を持っていて、私は時々その恩恵に浴してもいたので、エレーヌの語る過去世のあれこれが嘘八百には思われなかった。


*https://fr.wikipedia.org/wiki/Allan_Kardec
**https://fr.wikipedia.org/wiki/Pierre-Ga%C3%ABtan_Leymarie








これは、上の手紙を、読みやすくするためにエレーヌがタイプライターで打ち直したもの。

これも、上の手紙をタイプライターで打ち直したもの。






Alain Kardec