2020/10/31

エレーヌ・グルナック没後10年

 


1996年8月3日、故郷ロゼール県サン=シェリー・ダプシェでの姪の結婚式で。
昨年も使った写真だが、なぜか同じものを使いたくなったので。


   

   駿河昌樹

(Masaki SURUGA)



   10月31日。

 エレーヌが亡くなって、10年が経った。 

 生きていれば、78歳から79歳になろうとするところだが、死ぬということは、この「生きていれば…」が、いかなるかたちでも無くなってしまうことなので、78歳だの79歳だのはエレーヌには永遠に縁がない、と思っておく必要が、たぶん、ある。

 エレーヌは霊の話を格別好んだが、その系統の話には、人が死ぬと、いちばんその人らしい年齢に戻っていくというものがある。68歳で死んだエレーヌが78や79歳になるのを受け入れるはずはないだろう。霊としてのエレーヌは、1977年に日本に上陸して以降の年齢を選ぶのではないか。30代後半から50代のあたりの姿であろうとするのではないか。そんな気がする。

 

それにしても、幸せな人生を生きた人だった。1977年から2010年までの日本がどれほど恵まれた時代だったか、今からふり返ればはっきりする。

彼女が自分のものとした33年間のあいだの東京には、中小の地震や台風、大雨、大雪、水不足のようなものはあったにしろ、社会の根底から揺るがされるような激変はなかった。

東日本大震災、原発破損とその後の甚大な放射能汚染(いまだに、福島原発事故の緊急事態宣言は出続けたままだ)、放射能汚染を大がかりに誤魔化すために推進されたオリンピック準備、安倍政権下のひどく偏ったバブル状態、値上げばかり続く一方での賃金上昇の消滅、派遣社員の増大、軽佻浮薄になり、奇妙なところで神経質に優しさを誇示するような世相の異常化、見え隠れするさまざまなかたちでの人心の荒廃、そして、今回の新型コロナ・ウイルス騒ぎ等など、これらをみな、エレーヌは一切経験しなかったのだ。

 修行のようなもののためか、それとも気まぐれな異界への小旅行のためか、ひとりの人間が、ある長さに定められた地上滞在をしにこの物質界にやってくるのだとすれば、大地震や原発事故や新型コロナ・ウイルス騒ぎなどのない部分を「人生」の時間として選んだほうが、面倒が少なくて、お得というものだろう。

 エレーヌは、彼女の「人生」として、そういう時間を選んだ。

 本当にお得に、極上の時間を選んで、地上滞在をしていった人だった。

 

エレーヌ自身の人生全体のスケールで見ても、1941年に生まれて、2010年に死ぬまでというのは、青春期以降を、おもに第二次大戦の後の世界的な復興や高度成長の時代の流れに乗って生きられる時期だったので、追い風というか、上げ潮というか、個人ひとりの力量を超えたエネルギーを利用しながら、個人の人生経験を豊かにできる数十年間だった。

 

 この「エレーヌ・グルナックの思い出」というブログは、亡くなったエレーヌを偲ぶために始められたので、ここでは、2009年に急に末期ガンを宣告されてからの彼女の闘病の様子を語ったり、死の前後の様子を語ったりすることが多かった。このブログを読んだ人たちには、エレーヌの不幸な面の印象を与えてしまったかもしれない。

だが、生涯、誰よりも健康で頑強でもあったエレーヌの人生を思えば、じつは病気の期間は晩年の1年半ほどだけで、それ以外の66年半は全くの病気知らず、不調知らずの人生だった。