2011/01/31

UN DIMANCHE A ALGER

                       photo by Masaki SURUGA 
                                                     
                                                   
                                                                                                      
  Hélène Cécile GRNAC

      
       Parler du plaisir que m’apporte la lecture est un sujet intarissable. Il y a tant d’oeuvres magnifiques à proposer ! Alors, j’en ai choisi une mais pas du tout nouvelle ! Une que tout le monde connaît mais qui revient toujours vers moi me demander de la relire. L’Etranger d’Albert Camus. Et dans ce roman unique, seulement un passage du chapitre II de la première partie ( éd. Folio Plus, p. 2528). Parce qu’étrangement c’est celui qui m’inspire aujourd’hui les quelques libres réflexions qui vont suivre.
  
   Le héros se retrouve seul après le départ de Marie, sa maîtresse. Elle l’a quitté ce matin quand il dormait encore. C’est dimanche. Il va devoir le passer avec luimême, dans sa chambre « entre les chaises de paille un peu creusées, l’armoire dont la glace est jaunie, la table de toilette et le lit de cuivre. Le reste est à l’abandon ». Que vatil faire ? Comme tous les célibataires du monde. Dormir tard, fumer au lit et comme il faut bien manger pour vivre, déjeuner. De la façon épouvantable des hommes seuls mais bizarrement, sans une goutte d’alcool. Il pourrait le faire dehors, comme en semaine, mais il veut laisser un peu d’espace entre lui et les autres après les obsèques de sa mère. Ensuite, lecture d’un journal qui date d’on ne sait plus quand et « pour finir », aller regarder les passants de la rue, de son balcon, assis sur une chaise. Comme cela jusqu’au soir. A la tombée de la nuit, il a faim et descend s’acheter quelque chose pour le dîner. Avale son repas « debout » et va fermer les fenêtres de son appartement. Il fait frais en cette fin de dimanche qui annonce déjà lundi et la vie normale pour tout le monde.

Tout ce qui est fait et pensé par le héros en ce dimanche est d’une réalité et d’une objectivité saisissantes. Rien, a priori, ne laisse percer quelque émotion particulière ou quelque malaise existentiel qui le dérange profondément, du moins. Seules quelques remarques mais si ordinaires: il regrette un peu le départ de Marie, « n’aime pas le dimanche », s’ennuie « un peu » après le déjeuner... Déposetil alors le vrai fond de son âme dans le ciel qui semble l’aspirer et que son regard traverse pendant un long moment ? Ce dernier se donne à lui sans compter, avec une générosité illimitée, à n’importe quelle heure du jour et de la nuit. Mais c’est le Temps qui un jour, celui qui attend chacun de nous, ne lui permettra plus de s’absorber à plaisir dans sa beauté indicible , ce Temps qui lui aura malgré tout « un peu » pesé aujourd’hui.  Pensetil à cela ? Voyons aussi la dernière phrase de ce chapitre où il conclut que « c’était toujours un dimanche de tiré », que sa mère était morte, que la vie de tous les jours allait revenir et que « somme toute, il n’y avait rien de changé ». Elle nous éclaire plus sur le sentiment de Meursault. Il a l’air de nous dire que cette journée, il l’a assumée du mieux qu’il a pu, qu’il en a bien ressenti toute l’immobilité fatale mais que cela n’aurait servi à rien de protester. Il ne dit rien de mal de la vie ni de personne, ne se laisse aller à aucune réflexion désabusée sur sa condition humaine. Il s’est trouvé une sorte de no man’s land où il a pu sauvegarder son équilibre entre ce qui pouvait l’attendre dans son cas : la déprime et l’amertume d’une part ou quelque méditation mystique pour l’encourager à continuer de croire en la vie, de l’autre. Quoique la deuxième possibilité ne soit pas son genre, apparemment. Avec cette sorte de neutralité royale, il s’en sort comme intact, absolument pas éraflé, sembletil, par sa banalité à pleurer. Sa grande force est d’avoir su rester totalement présent à la vie, ne faire qu’un avec les choses et les gens qui ont absorbé son attention. Il a rempli sa solitude de la vie des autres. Les passants de ce dimanche n’offrent rien de spécialement admirable, pourtant, il les a assez bien observés pour donner d’eux des détails précis. Le mouvement de la vie semble le plus bénéfique pour lui. Grâce à lui, il ne s’est déplacé vers le passé que pour se rappeler l’enterrement de sa mère et vers le futur que pour penser au bureau qui l’attendait le lendemain.
Pourtant ce « toujours » souligne sans aucun doute que le héros est heureux de voir ce dimanche expirer enfin ! Autrement dit, vivre est merveilleux mais
comment vivre sans le Temps qui gâche tout ? Parce que quand on est comblé, il passe trop vite mais quand on s’ennuie, même « un peu » seulement, il est bien lourd à porter. Naturellement, le héros est jeune et a toute la vie devant lui comme on dit. Il peut s’offrir le luxe de soupirer de soulagement en fermant ses fenêtres et remarquant le « morceau de pain » abandonné à luimême sur la table, à côté de la lampe. A la fin du roman, à l’inverse, dans sa cellule, il comptera à rebours les jours qui lui restent.

   Dimanche le plus banal que l’on puisse imaginer donc, que personne ne veut vivre sans doute. Pourtant, dimanche le plus inoubliable par sa vérité presque insoutenable.     

   FIN


  le 24 août 2008  à Tokyo

2011/01/30

追悼 エレーヌ・グルナックさん

                                                                       photo by a student at SFC, Keio University Shonan Fujisawa Campus                                             



   大 林 律 子
       (Rituko OBAYASHI)



 「水路」の編集委員であり、執筆者の一人であり、同時に私にとっては、24年間に亘るフランス文学の師であり、ヨガの先達でもあり、友人でもあったフランス人女性、エレーヌ・グルナックさんが、2010年10月31日、早朝、息を引き取った。
 享年68才、日本に来て33年になろうとしていた。
  その日の夜明け近く、見廻りの看護師が、ベッドの上で意識を失っているグルナックさんを発見した。
  連絡を受けて駆けつけた誰もが、その生前には間に合わなかった。
  私が病院に着いた時、すでに別室に移されていた彼女の顔は、化粧を施されていたせいか、頬はほんのりと赤く、高い鼻に、やっと最近もとどおり伸びてきたと喜んでいた睫が長く黒い影を落としていた。美しい死に顔であった。手を握り、額に触れると、まだ暖かかった。

  6年前、2004年のことである。私は、ふと、同人雑誌のようなものを出したいという突然の思いに駆られたのだった。しかし、最初はなぜか個人雑誌のようなものしか思い浮かばなかった。かなり長い間フランス文学を、とくに数年前からグルナックさんの指導のもと、プルーストの『失われた時を求めて』全巻完読を目差して仲間と読み続けてはいたものの、私はその時、ある種の欲求不満に陥っていたに違いなかった。私のなかに周期的に生まれてくる欲求不満、日本語への渇き、それが限界に差しかかっていたのだろうか。
  人生のかなりの時間を、<読む>という行為に費やしてきた。特に最近は、長々と難解な、しかしその魅力にはまって、足が抜けなくなったプルーストの文章を、四苦八苦しながらも読み続けている。しかし<読む>という行為だけでは昇華できない歯がゆさが必ずあとに残る。表現する場が欲しい。自分はただの愛読者の一人に過ぎないけれど、読んで、考えて、書くことによってしか、理解できないこともある。というのがその当時の私の気持だった。もちろん、プルーストについてだけの問題ではない。日本語で思いを書きたいという欲求は、おそらくもっと強かった。
  しかし、自分ひとりの力では無理だと思った私は、グルナックさんに、一緒にやってほしい、参加してくれないかと頼み込んだ。私の気魄に圧されたのか、しばらく考えていた彼女の答は「ウイ」だった。あるいは、彼女自身のなかにも、書きたいことを、書きたい時に、書きたいように書くための ―ある一定のレベル以上のものという基準はあるにせよ― 開かれた雑誌というあり方に賛同し同調する何かが生まれていたのかもしれなかった。しかし、フランス文学の愛読者、愛好者の集まりだけでは、いかにも心細かった。もっと強力な執筆者が必要だった。グルナックさんの次に参加を頼んだのが、昔の同人雑誌仲間の橘正典さんだった。
  今からもう50数年も昔になろうかという頃、京都大学の文学部の学生たちを中心にした文学グループがあった。「対話」という同人雑誌が彼らの表現の場だった。高橋和巳や小松左京がそのなかから生まれ、後に梅原猛氏も同人として参加していた。私はほんの片隅にいただけだったが、その頃から橘正典さんは有力な書き手で同時に「対話」の編集長だった。
  橘さんの参加承諾を得て、結果的に、日本語で達意の文章が書ける人たちへと縁が拡がっていくのだが、一方で、フランス文学系の人々やフランス人、フランス在住の人々への縁が確かなものになるためにはグルナックさんの存在は大きかった。プルーストの講読に参加していた仲間が、フランス人やグルナックさんの原稿を翻訳し始めたのは、今まで隠し持っていた彼らの力を彼女が後押ししたからに他ならない。
 「水路」という雑誌のタイトルについても、グルナックさんに負うところが大きかった。
  最初、私はフランス語の名前の方がいいかもと思って、少しきどって、「エクリチュール」とか「リュミエール」とか、あるいは「ミネルヴァ」などのローマの神の名前を挙げたのだったが、そうしたことばは雑誌のタイトルとしてすでにどこかで使われている。本来、日本人が日本語で書くのだから、奇麗な発音で、心を惹きつけるイメージをもった覚え易い日本語の方がいいと、当然のことを言ったのはグルナックさんだった。
  これは結果論だが、「水路」という、おそらくそれほど手垢のついていないこのことばを辞書の中から見つけ出した時は、ほっとした。
 「水」という、融通無礙、自由自在に形を変え、どこへでも流れ、浸透していくものの特性は、人と人との感性やことばを繋ぐのに、最も相応しいイメージを持っている。「水路」というこの雑誌の命名にもグルナックさんの力が大きく働いていたことをここに書き留めておきたい。


  去年の5月、ゴールデンウィークの終わり頃、私は、グルナックさんから体調の不良を打ち明けられた。
  今まで経験したことのない胸やけと腹部の膨満感があるという。
  それが、卵巣癌の、すでにかなり進んだ症状であったことを知るのに、そう時間はかからなかった。癌性腹膜炎が起きていたのだった。増えてくる腹水のため、息をするのも苦しいと、プルーストの授業のあと、彼女は訴えた。卵巣癌はサイレント・キラーと言われ、多くの場合、余程進むまで無症状で、症状が出た時はすでに手遅れだという。
  そんな状況のもとでの抗癌剤、手術、様々の免疫、代替治療の一喜一憂の闘病生活が始まったのだった。そして、今年、10月31日に遂にそれは終わった。1年と6か月の希望と絶望の交錯する壮絶な闘いの日々であった。

  グルナックさんは20代からヨガをやっていた。若い頃、本当はバレリーナになりたかった。そしてもう一つのなりたかったものは現代物理学の研究者、そういう話は、彼女と知り合って24年の間に何度か聞いた。バレエの訓練を始めたのが10代になってからと遅過ぎたのと、経済的事情もあって諦めた。でも私、舞踊家の脚をしていると言われていたのよ、と彼女は一瞬、昔を懐かしむような表情のなかに少し羞じらいを見せて笑った。バレエの訓練をやめたのは、それだけではなく、ライバル同士の苛酷な競争と、修道院生活のような節制と訓練が自分には合わなかったからだとも言った。
  そこから彼女はヨガへの道を自分自身で探り始める。誰に教わることもなく、ほとんど独学で訓練を続けた。グルナックさんがなぜヨガを選んだのか、その理由はわからないが、彼女を深いところから衝き動かしていた無意識の欲求がそうさせたに違いなかった。
  日々、ひたすらヨガを続けていくと、いつの間にか、ふっと自由になっている自分に気がつく。ヨガは現代人が思い描いているような健康法ではなく、解脱のための行法だからだ。この世の執着や欲望を洗い落とし、脱ぎ捨てることで、日々が生き易くなる。グルナックさんは当然そのことを知っていたはずである。
  縁あってヨガを教えることになった禅寺の道場で、彼女は、私たちには到底不可能なあらゆるポーズを楽々とやってみせた。
  ヨガをやっていると楽しくて、いくらでも、何時間でも続けられると、彼女はいつも満足そうにそう言って、私たちの眼を丸くさせるのだった。
  独りで無心にヨガをやっている時、グルナックさんは、肉体という不自由な限界から抜け出て、見えない世界に飛翔していたのだろうか。
  あるいはそれは、自分がこの世に生まれてきたこと自体が不本意なこと、この世のことすべてが自分の心身にそぐわない重荷なのだと、彼女が生まれながら感じていたらしいペシミズムから解放される一瞬だったのかもしれない。
  グルナックさんのそうしたある種の絶望、現実嫌悪の感覚に気づいていた人は、そう多くなかったのではないかと思う。彼女は感情や気分に支配されるようなところを人に絶対見せなかった。その、よくコントロールされた明るいペシミズムは、常に、彼女の表情を清々しく冷静に保っていたから。

  フランス語、フランス文学の授業において、その指導力は抜群だったし、あらゆる質問に期待以上の豊かな反応が返ってきた。明晰な発音、ユーモアもあった。彼女自身が授業を楽しみ、生徒は彼女の人間心理や存在についての洞察力に心を動かされ、文化的なバックグラウンドの広さに驚き、たったひとことのことばの裏に隠された真実を見抜く繊細な感受性に舌を巻いた。
  それらは、文学を教える以上、誰にとっても欠くべからざる能力ではあるが、私は自分を顧みて、24年間のグルナックさんの授業に退屈したことが一度もなかったことに、今更ながら驚いている。彼女自身が昂揚し、生徒は時間を忘れた。
  ヨガと文学の講読、この二つがグルナックさんの本領だった。それはまた彼女がこの世の憂さを忘れることのできる束の間の至福の時間だった。この二つを共にした私はそう思っている。

  グルナックさんは1941年11月22日、フランス、オーヴェルニュ地方、ロゼール県で、チェコ人の父とポーランド人の母との間に生まれた。生地は、中央山塊(マシフ・サントラル)と呼ばれるフランスで最も山深い高地である。
  父親が鉱山技師として招かれた人とはいえ、言わば、第一次世界大戦後の移民の子であり、子沢山のなかの一人であった彼女は、あらゆる意味で、決して恵まれた豊かな環境で育ったわけではなかった。生きていくためには早くから自立し、働かなければならなかった。その意識は強かった。
  パリ大学ではロシア語を学ぶが、ロシア語教師の職が地方にしかなかったため、パリに残り、図書館で働くことになる。パリで働きながら、東洋語学校で森有正などに日本語を学んだ。私が聞いたところによると、半年で森鴎外を読み始め、森有正が当時関心をもっていたせいか、道元の『正法眼藏』の一部を読むことになる。これは驚きであるが、彼女の仏教への関心は、こうしたところから始まったのかもしれなかった。実は、彼女は発病前に、次の「水路」のエッセイのテーマとして、道元を考え、『正法眼藏』のフランス語訳を再読していたのだった。
 こうして1977年、彼女は留学生として日本にやって来ることになる。

  私が初めて横浜の朝日カルチャーセンターでグルナックさんに出会った時、彼女は40代半ばだった。ストレートな黒味を帯びた栗色の髪とほっそりとした体型のせいか、ヨーロッパ人という印象を強くもたなかった。彼女はピンクのブラウスに、姉から貰った自分のたった一つのアクセサリーだと言って、金の鎖の細いネックレスをつけていた。
  その後、10年、20年と経つにつれて、グルナックさんの服装は、ピンクのブラウスとも、金のネックレスとも縁のない、チャコールグレーや紺のTシャツにGパン、あるいはニッカーボッカー風のズボン、紺のスカート、冬になれば、その上に地味なカーデガンという、まるで禅僧の作務衣のようなシンプルな色彩と形のものに変わっていった。
  しかし、ヨガで鍛えられた体型は若い頃と少しも変わっていないというし、シミ一つない透明な肌は年齢を感じさせなかったから、彼女が60才をとっくに越えていると知ると、人は、それ本当  と驚くのが常だった。
  余分な女性的なものを削ぎ落とした彼女の雰囲気に、どこか中性的な感じがする、と言った人は何人もいるし、亡くなるまで一生独身だったから、男性を愛さなかったのかと思っていた人もいたが、そうではない。美しい人だったし、心優しい人だった上に、話し出すと奥が深くて楽しかったから、多くの男性からも女性からも愛された、ただ、結婚という形式は彼女の望むところではなかった。結婚に幻想や夢をもっていなかったし、束縛されることも好まなかった。それに好みも難しかった。それより、執着が自分をも相手をも苦しめることを、現実の愛のなかで知ってしまったことは大きかったのではなかったかと私は思っている。
  マルグリット・デュラスは彼女の最も愛した作家であるが、デュラスの作品で描かれる性愛についても、プルーストで描かれる同性愛についても、その他多くのフランス現代文学で描かれる様々な愛の形を、その作品のなかに分け入って、楽しみながら読むことを教えてくれたのはグルナックさんだった。独身であったけれど、この人が異性との愛のことを深く知らない筈はない、という確信のようなものが、簡単に読めると思われているデュラスの『愛人(ラマン)』の、ひとこと、ひとことのフランス語のニュアンスを指摘する彼女のことばからは伝わってくるのだった。
  プルーストについても同じだった。贅沢や華美や、女性が着飾ることには全く縁のなかったグルナックさんだったが、彼の描いた世界が貴族やブルジョワの社交界やホモセクシャルを描いたものだから、などと言って偏狭な批判をするようなところは全くなかった。プルーストも彼女の大好きな作家だった。小説のフィクションが、現実以上の真実を描き得ることを、普遍的な真理を提示することを、理屈でなく、読みながら自然に感じさせる能力があった。
  グルナックさんは「書くこと」に多くの情熱を注いだ人ではなかったけれども、「水路」に掲載されたデュラスについてのエッセイ二点と、エッセイのように装われた表題の作品「ロル・V・シュタインの書かれなかった日記」(「水路・7号」)は、彼女にしか書けなかっただろう秀作である。デュラスの作品とグルナックさんの合作のようなこの小説は、彼女のある時期の精神状況と失われた愛の一端を伺わせるもの ―彼女はそれを否定していたが― と言ってもいいのではないかと私は思っている。

  グルナックさんは、私たちのイメージのなかでは、最も病気とは縁遠い人であった。私の記憶でも24年間、一度も授業を休んだことがなかった。自分でも疲れを感じたことはほとんどない、と言っていた。ヨガをやっているから―。それが過信になっていたのだと、発病後、私たち彼女を知っている者は口々に言い合った。
  食生活には余り意を払っていなかった、と言うより、食べること、眠ることという人間生活の基本を支えることがらに、ほとんど関心がなかった。黒パンとチーズとコーヒーと果物があれば、それで十分だと思っていたようだった。それと少しの野菜と。ベジタリアンだと称していたが、自分では滅多に料理を作らなかった。人と一緒なら食べられるけれど、一人では食べる気がしない……と。
  睡眠時間はつねに2、3時間、長くても4時間ぐらいだった。夜こそ自分の最も充実し、集中できる時間、自分のことを「夜の女王」と嘯いていたので、改める気配はなかった。
  その上、10年ほど前から、年令に逆らうように、益々仕事が増えていった。フランス文学を教えられるかけがえのないフランス人 ―そういうフランス人は日本には稀にしかいない― であったから、頼まれればほとんど断らなかった。大学、カルチャー、個人レッスン、個人的な仏語訳の仕事、休息の時間はあるのだろうかと首をかしげるほどの忙しさだった。
  どうして身体の声が聴こえなかったの?と発病してから私は何度か問いかけたのだが、返ってくるのは、少しぐらい辛くても辛抱していると、次第に感じなくなってくるから……。という珍しく自信なげな答でしかなかった。それは感受性が麻痺していたということではないの?と、私も、今更言っても仕方のないことばを繰り返すしかなかった。
  彼女のことを人は冗談で宇宙人だと言い、自分でも半ば本気でそう思っていた。魔女だとも自分で言い、人もまた冗談でそう言っていたが、人間が、「うつしみ」である以上、生きている間は肉体を超えることはできない。彼女にとって、癌という病は、そのことの残酷な証であったかもしれない。

  死ぬことは全然恐くない。とみに痩せの目立つ顔で腹水を抱えながら、グルナックさんは私にそう言った。生きていることも、死んでしまっても、実は同じことなのよね、と彼女は以前からよく私に言っていたものだった。それをどのように受けとるかは人それぞれだが、この世と死後の世界は繋がっているからとも、死ぬということは、死者が生者によって感覚的に捉えられない存在になっても、やはり同じこの世にいることだからともとれる。あるいは、生きている人間も、死んで魂だけになってしまった死者も、本来は同じ生命エネルギーのそれぞれの在り方であり、生者とは、そのエネルギーが人間という身体に宿っているだけの存在なのだから同じことだ、と言いたかったのだろうか。私はこのように様々に考えてわかったつもりで頷いていたのだったが。
  しかし、死が彼女の射程距離に入ってきてから痛感したのは、生命(いのち)というものは、本能的に、「生きたい、生きよう」という方向に人を仕向ける力そのものなのだ、ということであった。グルナックさんの生命力もこのように働いた。死の2日前まで彼女は歩くためのリハビリをしていたのだった。
  だが一方、人為の力では及ばないなにかが、人の生死を支配している。人は自分の運命を生きるしかないという厳粛な事実をも、知らされることになる。

  今まで自分が書いてきたことを読み返すと、グルナックさんの表向きの面ばかりを描いてきたように思うが、彼女が何年にも亘って近所の野良猫を愛し、猫たちからも慕われ、彼らの病気の治療費や餌代に、自分の生活費以上のお金をつぎ込み、深夜まで面倒を見ていたこと。不思議なことが大好きで、難解な現代物理学の本や、イスラム神秘主義の本を読む一方で、占いに熱中し、カードや振り子を手放さず、別に信じているわけではないのよ、と言いながらも、時には霊媒や霊能者、催眠術師のところへ出かけることもあったこと。無類の映画好きで、信じられないぐらい多くの映画を、気に入ったものは何回も繰り返し見ていたこと。これらは、彼女の生活を豊かにした欠くべからざる悦楽であった。人は誰しも現実を堪えうるものにするために、いくばくかの狂気を必要とすると、プルーストも書いている。
  グルナックさんは一瞬一瞬を全力を尽くして生きた。十分生き切ったのではないか。そう思うと、折に触れて哀しみはこみ上げてくるが、そこに虚しさはなかった。

  グルナックさんの葬儀は11月2日、神奈川県藤沢市の曹洞宗長福寺で行われた。彼女が9年近く、月2回ヨガの指導をし、一時は坐禅をもしていた禅寺である。

  その日は、それまで何日も続いていた曇りがちの日々が嘘だったように晴れ上がり、朝から秋の冷気を感じさせる透明な光が、地上のものすべてを洗い清めるように降り注いでいた。
  仏式でもキリスト教式でもなく、教派、宗派を超えた葬儀が住職の先導で始まり、最後の瞑想の最中、寺を囲む森や木立から気の流れが鳥の声と共に心身に流れ込み、彼女の闘病生活を支えた友人たちや、教えを受けた生徒たち70人近くの会葬者が参列する会場が、完全な静寂に包まれた時、グルナックさんの魂はその祈りと共に、永遠の宇宙の光のなかに旅立っていったのかもしれない。

 2010年12月




【管理者の注】
 この追悼文は『水路』13号(2010年12月25日発行、大林律子編集代表)に掲載された。ここへの再録を快諾された大林律子氏、データを提供された橋本印刷の雄澤氏に感謝する。
 大林氏は、2009年5月より過酷な闘病に入ったエレーヌ・グルナックを支えた友人たちのひとりである。見返りをまったく求めることなく、18か月のあいだ、徹底的な献身によってグルナックの治療の現場に添い続けた。よりよい治療を飽くことなく見出そうとする努力と研究心は、友人たちのあいだでもつねに際立ち、グルナックの闘病への意志を大きく支え続けた。エミリー・ディッキンスンに、「そしてひたすら自分の天使の性質のために…」という章句があるが、グルナックの闘病中の大林氏は、まさに「天使の性質」の顕現そのものだった。
 このブログに収録しているグルナックの文章の多くも、大林氏の慫慂のおかげで書かれ、残されることになったものである。

2011/01/28

 ロル・V・シュタイン*の書かれなかった日記

     *ロル・V・シュタインはマルグリット・デュラス作『ロル・V・シュタインの歓喜』中の人物

                           
                                                                         le 20 juillet 2000  à Jindai-ji koen, Tokyo
                                                                         photo by Masaki SURUGA
   


 エレーヌ・セシル・グルナック
 加 藤 多 美 子 訳


 わたしの名はロル・V・シュタイン。わたしは日記のようなものをつけている。これは今まで誰にも見せたことがないし、ひとに話したこともない。内緒なの。まわりの自分や人生についていくつかのことを書いた。ひとに気がふれていると思われているので、わたしのことを書いてみたら、自分がどうなのか、よくわかるんじゃないかしら。ほかのひとたちがほんとうだと言うことが、わたしにはそのとおりだとは全然思えない。たぶんうまくは書けていない。だって、わたしはあまり頭が良くないし、いろんなことを知らないのだから。勉強はあまりしなかったけれども、本を読むことはずっと好きだった。なんでも手当たりしだいに読んできた。でも、本を読んでわかったことを、信用しすぎてはいない。それより自分の直感を当てにするほうがいい。頭が少し疲れたときは、直感がわたしの羅針盤だ。それだとわたしはけっしてまちがわない。直感がなにを言っているのか、いつもわかるわけじゃない。でも、申し訳ないけれど、ひとの意見よりもこっちのほうがいい。みんなは自信満々に断言しすぎる。それにはがまんができない。

 わたしは気がふれていると思われている。わたしが知っているひとたちみんなに。学校の友達たち、親友のタチアナ、それにわたしの母にまで。

 でも、わたしはあぶない人間じゃない。めったにしゃべらないし、ひとの言うことに、よく耳を傾けている。わたしは知っている、みんないろいろなことを考えているし、その人生には波風がたくさんあるということを! わたしには話すことなどほとんどないし、その気になっても途中でやめてしまう。わたしの話なんか誰にもおもしろくないだろうから。わたしの言いたいことはわかりきったことだし、説明すると結局ひどくこみいったものになってしまうのじゃないかしら。話を聞いたひとたちは、わたしのことをすごく抽象的で、まとまりがなさすぎると思うにきまっている。そしてすぐにつまらなくなってしまうだろう。

 ほかのひとたちの前で真面目なことを話すのは苦手だし、楽しくやるのが大好き。わたしは、ユーモアたっぷりだと言われている。ということは、わたしの気はたしかだということ。一日中なにもしゃべらずにいられる。想いをめぐらしながら。何について? わからない。わたしって何なのかとか、ここにこうしていることについて。わたしの中の想いの世界って、ほんとうに広い! 果てがない! そこで迷子になって、帰り道が見つからなくなるんじゃないかと、ときどきこわくなる。でも、ちょっと遠くへ行きすぎると、何かがわたしに、気をつけてって言う。そんなときは、頭の中で細胞がみんな動きはじめて、わけのわからないもやもやした状態になる。星のようなものがたくさん見える。とてもきれいだけど、急におそろしくてたまらなくなる。きらきらしているこの天空を、自分ではどうすることもできないだろうって感じてしまう。やっと星空が消えると、わたしはほっとする。ほんとうにすごくこわかった。もっと用心深くしていなければならないとわかっているけれども、忘れてしまって、またとっぴな冒険を始めてしまう。わたしは見かけほど、そんなにおとなしくはない。

 わたしは日々のくらしの出来事の中には、全然いない。少なくとも、どっぷりとはつかっていない。それは確かだ。どうしてこんなふうなのか、わからない。それがわたしの性分だから、どうしようもない。よく耳を傾け、注意して見ていても、心はうわのそら。わたしは退屈しているのかしら? そうとも言えない。ただ、ほんとうに何かにひっかかることができない。わたしは何にも心からの興味を持てないのだと、言われてしまうにちがいない。

 それでも、十八、九までは、とても感じのいい女の子だったと思っている。学校の体育館や、ダンスホールで踊るのが大好きだ。でも、いつも、そう、何かもの足りないと思っている。目には見えないけど、薄い膜のようなものがしっかりそこにあって、わたしがほかのひとたちとまじり合い、うちとけて熱のこもった人づきあいをするのを邪魔している。そう、わたしは踊っているとき、音楽のリズムにすっかり身をまかせている。でも、変なのだけれど、自分から抜け出して、踊っている自分の姿を見ているような気がする。そんなに大したことじゃない。ただ、踊り終わったとき、ちょっぴり落ちこんだ感じがする。ほんとうなら身体をあんなに使ったあとの、気持の良い疲れを覚えるはずなのに。いえ、そうじゃない。気力がなえたのだ。どうしてなのか、今まで一度もわからない。それに、わたしがおどけているとき――その才能があるらしい――まわりのひとをものすごくおもしろがらせているとき、ちょうどそのときに、わたしは泣きたくなってしまう。だから、わたしはまるでサーカスのピエロみたい。誰も何にも気がつかないから、助かるけれど。それは、わたしの中のずっと奥深いところから、たちのぼってくる。いったいどうしてこうなるのかしら? 人としての出来がうまくいかなかったみたい。説明できない。でも、一生こんなふうなのかしら? わたしはまだ十九なんだから……まだ十分に変われるはず……。で、どうしても変わらないとしたら?

 そしてある日、マイケル・リチャードソンがわたしのもとにやってきた!

 人生ではじめての大事件だった。

 彼はとても美形だ。それにすごくお金持ち。母は大喜びしている。いくつかわたしより年上だ。S.タラの娘たちはみな、彼に夢中になっている。そしてわたしは? わたしが彼に抱いている気持は情熱なんかじゃまったくないと、タチアナは思っている。彼女はわたしが何にもほとんど関心がないのを、ずっと前から知っていた。だけど、どうなるのか知りたくてうずうずして、わたしの出かたを待っている。わたしたち婚約することに決めたの、と彼女に告げる。おめでとう、と言ってくれるけれど、もともととても小さくてほっそりした彼女の顔は、何か予感めいた不安で縮こまっている。ふたりのことをもっと知りたがるけれど、どうやってわたしにきいたらいいのか、わからないみたい。つかみどころのないわたしの性格に、彼女はいつもとまどっているのだ。わたしに尋ねたりしないけれども、彼女の顔つきを見れば、いろいろとききたがっているのがよくわかる。

 マイケルには毎日会う。わたしは彼のためにおしゃれをする。

 恋人どうしで二人だけでいたとき、何を話していたのかしら? 思い出そうとしても、まったく思い出せない。話していたことは、わたしの心に何も残っていない。なあんにも。でも、わたしたちは一緒にいろんなことをする。テニスや散歩、手に手をとって。よく踊りにも行く。わたしが踊るのが大好きなことを彼は知っているのだ。わたしのほうは特に、こうしていれば話さなくてすむ、と思っている。だって、彼に言うことなんて何もないんだもの。わたしは夢や計画やらのまったくない世界に住んでいるのだから、彼の気をひくことはむりだろう。それははっきりしている。そう、自分にどんな願いも、何一つまったくないことが、わたしにはわかっている。彼と一緒にしあわせになりたいとさえ思わない。これって変じゃない?

 そして、愛していると彼に言うことができない。少なくとも言葉では。だって、愛するということがどういうことを指しているのか、わたしにはわからないと、そのとき気がついてしまうのだから。小説の中で読んできた美しい愛の言葉を、彼に言うことはどうしてもできない。そんなことをしても、しらじらしく聞こえるだろう。でも、彼のいろいろ細やかな思いやりには、ずいぶん心を動かされる。彼のやさしさには限りがない。わたしって、彼のわたしに対する恋心に恋しているんだ。だから、わたしは彼のそばにいる。そしてそのせいで、彼と別れる勇気をうばわれてしまう。彼はわたしをまだ子供で、人生のことを何も知らないと、思っているにきまっている。

 わたしが何も知らないのはほんとうだ。でも、自分がゆううつといったものにとりつかれているのは、わかっていた。とても若い頃から、うすうす感じていたのだけれど、そのときは何て呼ぶのか知らなかった。ある日、本の中で《うつ病》という言葉を見つけ、これがわたしが苦しんできた奇妙な病気のことなんじゃないかしらと思った。そして不安におそわれた。その原因がどうしてもはっきりとはわからないので、治すのはむずかしいと書いてあったのだから。

 それにはっきりと気づいたのはマイケル・リチャードソンを知ってからだった。わたしは完全に打ちひしがれた。ほかのひとたちではどうなるのか知らないけれど、わたしの場合、いっさい何も望まないという形で現れたから。つまり、マイケルを欲しいとは思わなかったということ。わたしは彼を愛していた。ただそれだけだ。

 それで、彼と一緒にすごしている時間、わたしはひどい苦しみを味わう。身をゆだね、自分を出すことがまったくできない。こわいのだろうか? いったい何を? わからない。そうじゃない、こわいんじゃない。むしろ感覚がまひしてしまうみたい。

 そしてマイケルに会ったときはいつも、身も心もひきつり、緊張してめりめりときしんだ。がまんができなかった。あたたかい気持で喜んで味わえるはずのことが、みんな苦痛になってしまうのだから。どう言っていいのかわからない苦しみ。それがあまりにもつらすぎて、顔がひきつり、彼にほほえんでいても胸が痛くなることもあった。だから、わたしはどこかへ消えてしまいたかった。わたしの足元のどこか大地の裂け目の中に。そうでなければ、たったひとり、風に吹かれて深呼吸し、息のつまった肺を大きく広げたかった。なのにわたしは彼の前におとなしくすわったままで、彼の両手をわたしの手の中にやさしく、やさしく握りしめていたのだ。目で、みんなわかってもらおうと努めながら。

 でも、彼は、それが大好きだと言う。どうして?と、信じられなくてわたしはきく。なぜって、ちょっと悲しげだけど優しくて心にしみるからさ、きみのほほえみは、と彼は答える。実際は、わたしたちのくい違い、ありそうもないようなわたしたちの状態を思いながら、わたしは彼にほほえんでいるのに。わたしの愛っていったいどんな種類のものなんだろう? なぜ、本で読んだ恋愛や、わたしが毎日街で見かける若いカップルの恋愛のようじゃないの? どうしたらいいんだろう? こういうふうにはもう続けられない、こんなことは意味がないって、できるだけ早く彼に言うべきなのかしら? 自分が無責任で、ものすごくエゴイストだと感じる。けれども、勇気を出して水に飛びこむように、自分のことを、自分がどんなふうなのかを、彼に打ち明けることはできない。それに、説明しようとしても、すごく下手だろう。ちゃんとした言葉は見つけられないだろう。

 だって、彼に対するわたしの愛は、頭と心でこしらえたものなのだから、ものすごく好きだけれど、その感情はいつもこの二つの部分に限られている。身体のほかの部分に広がっていこうとしないし、いくらがんばってみても、そうはできない。そしていつも自分の中で気力がなえていくのを感じている。今日はじまったことじゃない。ずっと前から、ゆっくりと進行するのに気づいていた。たぶん、ひとが大恋愛を夢見はじめる年ごろから……、人生への期待に胸ふくらんでいるころから……。わたしの場合、こういった心の高ぶりは、わたしをかえって不安におとしいれた。この心の状態はふさぎの虫を養うのに、おあつらえ向きの土壌だったみたい。
 重苦しいがっかりした気分が、わたしのまわりにただよいはじめる……。

 そして、こんなふうに愛はわたしの中で凝縮していった。とても濃密なかたまりのように。ときには重くなりすぎて、胸を押さえつけ、息をするのも苦しいほどだった。恋がこれほど身体を痛めつけるものだとは知らなかった。

 何年もたった今でもまだ、マイケルのことを思うと、ここ、両胸のあいだに以前と同じ苦痛が、そしてこめかみには、以前と同じ焼けつくような痛みがある。今でもまだ、その痛みで、わたしはへとへとになる。あいかわらず、わたしは彼を愛しているということなのかしら? 彼への気持が、それほど元のままだってこと? 突然ふざけてこう考える。もしマイケルが一軒の家だったとしたら、次の日には、彼のことは忘れてしまっただろうに!と。実際に経験したのだけれど、家が取り壊されるたびに、翌日にはわたしはもう、その家のことを全然思い出さなかった。わたしの記憶はその家を、生きているものの地図から、あっという間に消しさってしまった。何年ものあいだ、その家の前を毎日通っていたというのに! ことによってはこんなにぶしつけにふるまったけれども、わたしにはさっぱりわけがわかっていなかった。

 みんながしているように愛を、性の欲望という形であらわすために、身体の他の部分にひきおろすことは、どうしてもむりだった。その美しさや、特にその激しさが変わってしまうのがこわかったのだろうか? 激しくても、わたしの頭の中にだけある恋は、マイケルを満足させることができなかった。でも、この激しさこそが、わたしが生きられるただ一つのものだったし、彼にさし出すことのできるただ一つのものなのだった。だって心や精神は、強くてしっかりと調和のとれた一つの全体をつくっているので、それ以上身体に助けてもらう必要はないように、わたしには思えたのだから。ほんとうにそうだったのかしら? とにかくこんなふうに弁解しながら、自分自身を許そうとしたのだった。私がこう言っても誰も納得させられないことは、よくわかっていたけれど。そしてわたしもあやしい。

 時がたつにつれて、わたしは喜ぶべきときにも、喜びにあふれるということがなくなっていった。なめらかな坂にそって、少しずつ、さからうことができずに滑り落ちていくのを感じていた。つかまろうとしても、一本の枝もなかった。でも自分の性質は知っていた。
 ゆきどまりの果てまで、ずっと流されていくだろうとわかっていた。自分がかき消えてしまうためじゃない。わたしは不安で息苦しいのだけれど、この不安がどこまでいくのかを感じるために。わたしの血と肉の中では、どうしても形になろうとしないあの感情が、いったいどこまでわたしについてまわれるのかを知ること。それと同時に、彼の側からどんなに侮辱されてもがまんする覚悟をしていた。そんなふるまいがあっても、当然だったと思う。マイケルはわたしが人前で彼のことを笑いものにした、彼を馬鹿にしたと、思っただろうから。

 わたしはじっとしていた。自分をおさえて、時が来るのをずっと待っていた。とにかくわたしには話してしまうことはできなかった。

 そのころ、T.ビーチの市営カジノで舞踏会が開かれた。

 わたしの人生で二度目の事件だった。

 一晩中、わたしはマイケルと踊る。タチアナも来ていた。すごくきれいだ。彼女にはダンスの申し込みが多すぎて困るぐらいだ。わたしはマイケルに、どんなに愛しているかをそれとなくわかってもらおうとするけれども、彼は何も言わない。ひどく緊張したようすだ。もうわたしを愛していないの? いや、そうじゃない、思い違いだ。彼はわたしに向かってにっこり笑い、だいじょうぶだよ、愛してる、と言っているようにみえる。わたしの考えていることが、彼にはわかっていたんだ。わたしは希望を持つ。これから、彼が期待しているとおりに彼を愛せるようになるんだわ。まだ十九歳なんだから……と。

 わたしの運命を決めてしまったあの時間を、わたしは何年ものあいだよみがえらせてきた。まるで、ずっとその中に生きていたようだった。でも、タチアナ、わたしの母、ほかのひとたちがそれについて考えたことは、もちろん間違っていた。

 三つの真実が集まって、あの夜、一つの確信となった。

 身体にぴったりとした黒いドレスを着て、あの美しい女(ひと)が魔法のようにホールに入ってきたとき、マイケルは彼女に気がついた。何かがわたしに起ころうとしていた。とても重大なことが。わたしは、はらはらしながら、心の中のどこかで、この何かが起こるのを望んでいた。早く。さあ今だ。磁石にひきよせられように、彼はまっすぐ彼女に向かって進んでいった。そしてふたりは夜どおし朝まで踊ったのだった。わたしは観葉植物のかげにかくれて、彼に見られないように、彼がしあわせに、彼女と踊れるようにと一生懸命だった。でも彼らは何にも、誰にも気づかないようだった。ふたりだけの世界を作っていたのだ。そのとき、ものすごく嬉しい気持がわたしの中ではじけた。心から、あの女(ひと)がありがたく思われた。アンヌ=マリ・ストレッテル。彼女の名だった。彼のためにやってきたのだ。わたしから彼をとりあげるのじゃなくて、わたしが彼女に彼をゆだねるために。たった今起きたことは良かったのだと、わたしにはすぐにわかった。大きな、大きな肩の荷が降りたのだった。
 二つ目は、わたしが魅せられてしまったことだった。完全に。わたしが一緒だったときには、こんなふうなマイケルを見たことは一度もなかった。ふたりの間のいわゆる融合に、わたしは魅せられてしまった。身も心も完全に溶けあっている様子に。舞踏会が終わるまで一言も言葉をかわさず、そして出ていった。二人の天使は。わたしはただ、この秘教的な儀式に立ち会っただけだった。いいえ、そうじゃない。一晩中、わたしは彼らと一緒に、彼らになって踊ったのだ。わたしたちは三人で一つのものになっていた。誓って言うけれども、ほかのひとたちが眉をひそめるにちがいないとか、マイケルのしたことはわたしが憤慨するようなことだったのだとは、ほんの一瞬も考えなかった。そのとおりだ。決して思わなかった。はっきりと、そう言える。そういったことは少しも心に浮かばなかった。あの夜の間に一度もなかった。その後もずっと一度もない。おとぎ話の中でのように、わたしは魔法をかけられた。そんなに遠くまで行ける愛に、魔法をかけられたようにうっとりとしてしまったのだ。ふたりは、ただごとではない激しさでお互いにひきつけあったのだけれど、わたしは彼らと一緒にその激しい歓びを実感することができた。これはほんとうにわたしにぴったりなことだった。わたしの精神、わたしの心はいつも、感情が目に見えるようにあらわれたものよりも、その濃さのほうに、よりひきつけられていたのだから。

 三番目の真実は、恋の相手を、初恋のひとを、自由に旅立たせて、わたしはしあわせだったということだ。彼を自分だけのものにしておきたいとは思っていないこと、自分が彼にふさわしい女じゃないということもわかった。何てすべてがわかりやすくなったんだろう!

 彼らはわたしを悲しみや苦しみでうちのめしたまま、ダンス会場から立ち去ったのではない。わたしの気はたしかだった。裏切られたのではなかった。自分が何だったか、どんなふうだったか、すっかり自分でわかっていた。

 わたしはようやく家にもどった。くたびれはてた顔をしたタチアナと。彼女は一部始終を見ていたもの言わぬ証人だった。そしてわたしの母も一緒だった。なぜ母が? なぜ母がわたしを迎えにきたのかしら?! 彼女に尋ねたことは一度もなかった。わたしにはどうでもいいことだった。

 そしてそのあと。あの運命の夜のあと、わたしはどうなったのかしら? 運命の、といってもふつうこの言葉で必ずひとが言うような意味ではない。あの夜はわたしに幸運をもたらした。奇跡のような夜だった。わたしは自由になったのだ。マイケルを愛したのとは別なふうに、彼を愛しているふりをすることは、わたしにはどうしてもできないとわかっていた。わたしのやりかたは、彼にも、どんな男にとっても、受け入れられないものだった。でも今、わたしが彼をほんとうに愛していたことを知っている。

 しばらくのあいだ、わたしはひとりになると、たくさん涙を流した。救いをあたえ、恵みをもたらす涙を。わたしは黙って、おだやかにしていたけれど、誰もそのことを理解しなかった。わたし以外には。絶望にかられた発作みたいなものが予期されていた。そんなことは全然起こらなかった。あの信じられないめまいのあいだに、わたしの深いところで、何か神のお告げのような教えを受けてしまった。そして、そのあいだ、自分のことも他のこともみんな忘れてしまった。めまいのあと、たぶん思ったよりもずっと、くたくただったのだ。現場では立派にちゃんと持ちこたえたけれども、わたしは信じられないほどの衝撃を受けてしまったにちがいない。心の層の一番奥深いところまで。そのうえ、わたしにあっては、一番激しい感情は、もっとあとになってからあらわれる。とっさには決して出てこない。なぜなら、感情的なショックを受けると、わたしは固まってしまうようなのだ。

 わたしの目を開いてくれたこの経験について、誰にも何にも話したことはない。とくに、タチアナや母にはしていない。話したところで彼女たちにはわからないだろうし、それに、わたしは同情されたいとも、なぐさめられたいともまったく思わなかった。そんな必要はゼロだった。今まで以上にひとりぼっちだったけれど、ふしぎに、どこか自信が出てきた。

 もう誰もマイケル・リチャードソンのことには触れなかった。

 彼のあと、誰に対しても恋心をいだいたことは一度もなかった。ただ一人の恋人だった。まず、いつかは恋人を欲しくなるかもしれないと思いながらも、そうする気力がなかった。次に、わたしはもう苦しみたくなかったし、愛するひとを苦しめたくもなかった。それに、わたしは自分自身の生活で手一杯だった。あまりにも内に集中して生きていたので、夜、床につくときにはもうぐったりしていた。一人でいて退屈したことはなかったけれど、ただひとと一緒だとうんざりした。実際にはほとんどひとに会わなかった。ほんものの人ぎらいになったということ。だけど仕事先ではちがった。そこではうまく行き、わたしの本領が発揮できた。まったく別の人間で、自分でもおどろいたほどだった。

 だけど、毎日こんなに疲れきってしまうなんて、わたしの生活はどんなだったのかしら? わたしには説明したくても、言葉では説明できない。心の激しさ、心がはりつめていることが問題なんだけど、何もないからっぽな場所に、螺旋階段のようなものがあって、わたしはそれをずっと昇ったり降りたりしていた。下に着いたときには、わたしの気力は最悪だったけれども、昇っていくと、生きかえった心地がした。何てすばらしい! 今度もまた、うまく抜け出せたことがわかる。自分が思っている以上にしっかりしていることもわかった。こんな状態には慣れっこになっていて、もうすっかりわたしと一体になってしまっていた。だけど、ときどき思ったものだ、これが一生続くのかしらと。

 いつもと同じわたしをさいなむあの問題だった。胃がきりきりと痛んだ。

 年月がたった。それが、母を喜ばせ、母の死後のわたしのことで、彼女を安心させるためだとしても、わたしは結婚したいとは一度も思わなかった。かわいそうなおかあさん! わたしは自分ひとりで生きていこうと決めていた。人間関係、特にいわゆる恋愛関係にすごくさめていたので、男女のふつうの生活にもどるのは、わたしにはむりだと思われた。ふつうの愛情生活にはもう興味がなかった。きっぱりとなかった。

 けれども、みんなと同じように生活していた。少なくとも見た目には。二つある市の図書館の一つに、ちょっとしたパートの仕事を見つけていた。とてもつつましく暮らしていたけれども、それで良かった。わたしにはたいしたことは必要じゃなかったのだ。本を扱うことはわたしにぴったりだった。個人的に大人や子供を教えることもあった。そんな場合は、何も問題がなかった。よく笑わせたし、生徒たちはよく勉強した。全然できのよくない子供たちからも、わたしは何かをうまく引き出した。わたしは自分にとても満足だった。誰も、わたしのことをいわゆる不治のうつ病患者だと見抜いたりはしなかった。誰一人として。わたしはしあわせだった。ということは、わたしは気がふれてなんかいなかったんだ。

 でも、本にかかわっていることのほうが好きだったのは確かだ。ページをめくって、目にとまった文章を読むことが大好きだったけれど、それを書きとめたりしたことはない。そんなことをして何になるのかしら? あの頭のいいひとたちには心から感心していた。わたしは決してあのひとたちのようにはなれないだろう! 特に本は、人類のあらゆる時代を彼らと一緒に生きるという大きな喜びを、わたしに与えてくれたのだった! ただ、ほとんどいつものことだったけれど、家にもどると、あんなにわたしをしあわせな気持にしてくれた知的なめまいは、消えうせてしまった。もう信じられなかった。ああいうことをいろいろ知っても、いったい何になるのだろうか? とにかく、それはわたしのレベルをはるかに越えていたのだ。そんなことで、わたしの頭を苦しめたくはなかった。わたしには勉強するのに必要なエネルギーも、その才能もなかった。その点はたしかだ。でも、こんなにしょっちゅう落ち込むことがなかったならば、自分の中に何かの才能が見つかったかも……と思うこともあった。そういうことがありえたかもしれない。

 ある日、なんとなく急に、町やその近郊に散歩に出かけたくなった。でも家にもどると、いったいどこを、あんなに長い時間休みもせずに歩きつづけられたのか、もうあまりよく思い出せなかった。頭の中でみんなごちゃまぜになってしまったけれども、次の日には、きっとまた本能的に、今日自分が出かけた場所へ行き着けるのだろう。とにかく、私の脳がひと息ついたと感じられた。そしてわたし自身も。なぜなら、身も心もますます疲れてくるのを感じるのだ! ときどき、脳がたぎりたっている。めったに冷めない溶鉱炉のようだった。そこで、どんなすばらしい錬金術が作り上げられるのかを見きわめようとしても、わたしにはできなかったけれど。

 そぞろ歩きをするとき、マイケルと一緒に散歩したところへ行くこともあった。おかしなことだけど、そんな場所のおもかげはとてもはっきり残っている。彼と一緒だったから。生涯でただ一度の恋だった。今もわたしの中でダイヤモンドのように輝いている。でも、彼の顔は霧の中に、しだいにとけて消えていく。顔立ちがはっきりわからない。ちょっぴり悲しい。どうぞ、わたしの心の中で粉々になってしまうようなことがありませんように……。

 たいていの場合、ほかのひとだったら陰気だと言うかもしれないけれど、わたしにとってはすばらしく美しく思える場所に、わたしは足を運んでいた。雑草が生い茂り、ぎざぎざの有刺鉄線で囲われた空き地……祝日で、働いているひとたちが誰もいないので、ひっそりとして、決して完成することがないような気がする建築中の建物……野の花々でいっぱいの野原や麦畑の広がり……。あの野や畑に寝そべって、空と空行く雲をながめたものだった。自然の変わることのないざわめきの中にいると、なんてしあわせなんだろう! もしかしたら、マイケルの腕の中でよりも、わたしはもっとしあわせでいられたのではないかしら? 

 こうしてひとりでいると、自分がとても強く、元気で、ひじょうに晴れやかな気がする。そうだ、私は気がふれてはいない。もっとも、ときどき歩道のへりにすわっている。ひざを両腕で抱え、頭をその上に乗せ、そしてゆっくりと息をする。目を閉じる。何て自由なんだろう! 今日は人生って何て美しいんだろう! 町やその周りをだんだん遠くへ、こうして歩き回ることが、私にとって必要で、生きていくのに欠くことのできないものになっていると、とつぜん気がつく。風はわたしの友だち、風の吹くままにわたしはついて行く。なんてすばらしい!

 けれども、毎日元気が良かったわけじゃない。今日は不安が靴の底にはりついている。一緒に歩き、それを感じている。不安がわたしを支配してしまうんじゃないかしら、こわい。今まではうまく抑えてきた。でも、全身にまで侵入してくることが、しだいによく起きるようになった。ときどきわたしはパニックにおちいる。家にある本の中で、女たちが錯乱するのを読んだことがある、有名で輝いているひとたちでさえ、正気をなくしてしまった。たとえばヴァージニア・ウルフやカミーユ・クローデル、それにわたしの知らないひとたちが。彼女たちのあとを追うように、気がふれるのがこわい……。

 わたしはこうして生きつづけてきた。一緒にいた母は、よくわたしを悲しそうに見つめていた。かわいそうなおかあさん! 心配しないで。あなたがこの世におられなくなっても、きっとうまくいくから。そう信じたい。

 ある日、タチアナに偶然出会う。T.ビーチのカジノでの例の舞踏会以来、わたしたちは一度も会っていなかった。彼女がお金持ちの医者と結婚したことを知る。豪邸に住んでいて、子供はいない。彼女は自分の家にわたしを招き、友人のジャック・ホールドを紹介する。わたしは彼をおぼえていたし、彼もまた、わたしをおぼえている。わたしが町をさまようのが気に入っていた頃、彼は何度もわたしのあとをつけてきた。もし、わたしが町のはずれまで行ったときに、はっきりした行き先もなしにぶらついているわたしの姿を彼が見たのならば、わたしのことを少し頭が変だと思ったはずだ。今日彼はわたしを長いあいだ見つめている。わたしのことをふしぎに思っている。わたしについて、何か知っているにちがいない。タチアナがきっとわたしのことを話したのだろう……。

 けれども、あのひとたちは何もわたしを責められない。午後のあいだずっと、わたしはまったくふつうに会話をかわしている。わたしのことは大丈夫だと彼らを安心させる。とても元気よ、何度もそう繰り返す。彼らの視線がときどきからみあう。とうとうタチアナが、どうして結婚しなかったの?とたずねる。自分自身と結婚したのよ、それで十分なのよ、と笑って答える。彼女も笑う。ジャック・ホールドは笑わない。彼はわたしの目をじっと見つめる。わたしに恋しているんだ。

 数週間たったある日、わたしは、ちょうど町のはずれにあるラブホテルの近くのライ麦畑で休んでいる。そのとき、タチアナがジャック・ホールドと一緒なのに気がつく。ふたりでホテルの玄関にそうっと入ってくる。なにもかもわかる。こうして彼らはここに愛をかわしに来ているんだ。でもわたしは何も感じない。彼らの情熱を一緒になって感じたりしない。マイケルとアンヌ=マリ・ストレッテルのときのようじゃなかった。反対に、彼らは抱き合うことによって、重く、苦しんでいるように、わたしには感じられる。だめだ、目のくらむような気持も、うっとりするような歓びも、全然湧いてこない。わたしはライ麦畑に、悲しみに沈んで横になる。彼らのために、泣きはじめる。

 もっとあとで、ジャックは、いつかライ麦畑にいる君を見たよと、わたしに言うだろう。タチアナも。そのとき彼女は、わたしが気がふれていて、決して治ってなかったんだと、あいかわらず思うにちがいない。そんなことはかまやしない。わたしが彼らのことをうらやみ、欲情されて愛されたがっていると、ふたりが思いこんでいるなんて、かえってわたしにはおかしくなってしまう。わたしがわざと彼らのあとをつけ、彼らを監視しているなんて。

 ある日、ジャックは、T.ビーチへ一緒に行こうと、わたしをさそう。カジノのホールをもう一度見るために。わたしは受け入れる。好奇心が勝ったのだ。

 カジノでは、以前と同じダンス用ホールに入ると、ひとが来てシャンデリアを全部つけてくれる。わたしは観葉植物を覚えている。そのかげにかくれて、わたしはふたりを愛したのだった。夜のあいだずっと。今、わたしの中で何も動かない。ここでは、過去の砂の中に埋もれて、まったくからっぽなのに悲しみに満ちたあの空間の中で、すべてが息絶えてしまったのだということが、わたしにはわかる。家に帰ったとき、すべてが今まで通り、心の中でうちふるえるだろう。ここでは、十年前にわたしが生きた感情に、心を集中することができない。あのエクスタシーに。ジャックはわたしがどうなるのか、うかがっている。何の反応も起こらない。わたしたちは最終電車で町にもどった。

 けれども奇妙なことに、この旅のおかげで、わたしはT.ビーチにまた行きたくなる。できるだけ早く、わたしはそこにもどる。そこでは、ほとんどずっと駅の待合室か、外のベンチにじっとしている。わたしは舞踏会の夜を生きる。列車を待つ一人の旅行者として、じっとすわったままで。激しい気持で生きる。激しさがだんだん増してくる。そのたびに、真理がわたしに啓示された瞬間、あのすばらしい忘れることのできない瞬間に、少しずつ近づいていく。

 仕事がないとき、わたしはよく同じカフェに行く。そこでわたしは書く。ノートに頭に浮かんだことを書きとめる。ときどき自分の書いたものを読み返す。これ全部を書いたのがわたしだなんて!!

 しばらく前から、一人の女の客がよく来て、いつも同じテーブルにすわっているのに気がついている。おもしろいことに、彼女もまた書いている。たばこをたくさん吸って、赤ワインを何杯も飲む。コーヒーは決して飲まない。きっと五十歳代だろう。美人でないし、おしゃれじゃない、あきれてしまうほど! インテリっぽい分厚いめがねの奥から、わたしのことをじっと見つめている。わたしはそれにちゃんと気づいていた。わたしたちの視線はときどき交わる。いつか彼女に近づいて、あなたはここのかたですか?ってたずねたらいいかもしれない。いや、わたしはそうはしない。他人がほんとうだと言っていることを、わたしは信用しない。彼らは何でも知っていると思っている。きっと、何週間かをここで過ごしに来たパリのひとだろう。パリでの生活に疲れているんだろう。

もう書きたくなくなったとき、わたしはかなり長いあいだ、遠くをながめてじっとしている。ほんものの彫刻みたいに。わたしは心ここにあらずの状態だ。そしてコーヒーをもう一杯飲む。からっぽが待ちかまえているところへは、もどりたくない。からっぽがだんだん好きでなくなる。からっぽがこわい。少しずつ、小さなひと口ずつかじって、わたしを食い尽くす。いつの日か、わたしというものはもう何も残っていないだろう。

 彼女はわたしを見つめつづけている。

 あらゆることに、ますます無関心になっていく。どうして人々はあんなふうに、ひっきりなしに動き回っているのかしら?! でもわたしは働きつづけているし、身なりもきちんとしている。といっても、もうすぐ三十になる。何もわたしに引っかかってこない。何もかもわたしの皮膚からするすると滑り落ちてしまう。だからわたしはついにはホームレスになって、どこかに閉じこめられてしまうのではないかしら。ありえないことじゃない。今はいろいろな法律があって、人びとが好きなように生きられなくなっている。とてもおそろしくなる。でも、神にとってはすべてのものが平等だと、どこかで読んだことがある。それなら思いわずらうことはなかったのだ。けれども、もし神がまちがっていたとしたら?

 カジノにもどろう。そうすれば良くなるだろう。あそこへもどろう。彼らの顔も身体もほとんど忘れてしまったのだから、彼らに会うためじゃなく、激しい想いのために。彼らのすがたは、ふわふわとおぼろに漂うものに変わってしまった。踊っている彼らを思い浮かべると、ふたりはとても軽やかにゆらめきながら、わたしの目の前にそのすがたを繰りひろげる。ぼやけているけれども、とても美しい。今もまた深く心が動かされる。わたしは心の底から彼らを愛している。ふたりを共に。そう、あそこへもどろう。激しい想いのために。あの夜、その歓びのなんと激しかったことか!

 明日の朝、T.ビーチ行きの始発に乗ろう。できるだけ何度も行こう。わたしにはあの激しい歓びが必要なのだ。生き延びるために。最後までもちこたえるために。
  
       ★   ★   ★


ノートを閉じる。ロル・V・シュタインの日記を読み終えた。先ほど、カフェのウェートレスが私に委ねたものだ。彼女は私をよく見知っている。私の名がマルグリット・デュラスで、本を書いているということも。彼女はこの日記をどうしていいかわからず、捨ててしまう前に、私の興味を引くのではないかと考えたのだ。ロルはこれをテーブルの上に置き忘れていった。取り戻しに来ることは、まるでなかったし、再び彼女の姿を見た人はいなかった。蒸発してしまったかのようだった。母親の急死の後、彼女はその家を売り、消えうせたらしい。私の意見では、家の売却にかかわったりはできなかったと思う。何かが彼女の頭上を越えたにちがいない。完全に。我々の世界とは別の世界に、すっかり心を奪われてしまったらしい。ロルのじっと動かない姿は印象的だった。

 私がT.タラに来なくなって一年以上たっていた。何がロルのこの決定的な出発を促したのだろう? そして彼女はどこへ行ったのか? どこへ? 彼女にあれほど会いたかったのに! とりわけ、わたしが本を書いてからは。

私は眼鏡をノートの上に置く。両手で顔をはさみ、考え込んでいる。もう何を考えていいのかわからない。

あの若い女からひらめきを受けたので、私はパリに戻ってからすぐに書きたいと思った。彼女を見たとたん、とりこになってしまったのだ。どうしてなのか、はっきりとはわからない。直感だった。彼女の中で何かがうまくいっていないことが、すぐにわかった。説明できないけれども、そのことに私は心動かされてしまった。ベトナムの女乞食やアンヌ=マリ・ストレッテルよりも、ずっと。ロルから立ちのぼっている心魅かれる沈黙のおかげだ。他の二人の女について私はいろいろと知っているが、ロルについては何も知らない。すべて私が作り上げなければならない。

彼女の心の均衡を失わせてしまった失恋に因る一種の精神病について、私は『ロル・V・シュタインの歓喜』を書いた。マイケルが彼女を捨ててアンヌ=マリ・ストレッテルについていった後、私は女主人公に、何年間も自分の中に閉じこもった生き方をさせた。

ノートの中で、ロルは《うつ病》について語っている。彼女によれば、それは、あらゆることに対するエネルギーの欠如と、強い愛の力が性的なものではないという形で、現れている。私の考えでは、どちらもむごい悲劇である。私にはなじみ深い、あれほど強い生命力や、あれほど激しい性の欲望がなかったら、私はどうなってしまっただろうか?! まさにそのおかげで、地獄のような呪われたと言っていいほどの家族にも耐えることができ、後には書くことができたのだった。書くことこそ、私の人生の唯一の目的である。

精神分析医なら、すぐにロルのこの病気を分析し、いじくりまわし、邪険に扱うだろう。そして素人にはわけのわからない、もしくは、ごく短いけれどもギロチンの刃のように残酷で断定的な名前をつけて、おしまいにする。患者は永久に意気阻喪してしまうだろうに。私はそんなことはいっさいしないだろう。もっとも私はこの種の医者が嫌いだし、診てもらいにいったことはない。ありがたいことに! 彼女が自分の病気につけた診断を尊重したいと思う。そう診断したことはすでにとても健気である。彼女のする分析は、実に単純だが、どこか非常に真実で、私を大いに感動させる。それは、彼女がどれほど苦しまなければならなかったかを十分にわからせてくれる。そのうえ、普通に生活するためにがんばったのだから。そうするためのあのエネルギーをどこから引き出したのだろう?! そんな力は全然ないと、彼女は言っていたのに。たしかに自分にとってしか役に立たないが、見事な均衡といったものを彼女は見つけていたのだと、私には思えるのだ。

私は小説をまったく間違ったふうに書いたのではなかった。女主人公は彼女に少し似ている。私のヒロインは、《静かな倦怠感》に耐えており、そこからなかなか抜け出せない。《この病気の起源を、もっと昔、ふたりが親しくなるよりもさらに昔にさかのぼる》と考えたタチアナは、最も正しく見ていたことになる。

実際は、私が彼女をどんな病気で苦しませたのか、よくわからない。その病気に現実には一度も名前をつけていない。作品を通して、それは狂気のようなものだとほのめかしただけだ。とにかく、それは、ロルがマイケルとの別れでショックを受けた時に、特に現れた。私はこんなふうに、ごく素直に見ている。彼女にとってのあの恐ろしい衝撃のあと、私は彼女を十年間《眠らせ》、最後に、ジャック・ホールドと共にカジノに戻った時、彼女が気がふれてしまったように書いた。

だが確かに私は、彼女を特に性愛の枠の中で、動き回らせたかった。なぜなら私にとって、愛は性的な結びつきなしには考えられないからだ。私は本の中で、幸福な恋愛を書いたことがないけれども、登場人物たちは互いの中に溶け合わねばならない。性愛は火の試練であり、それがなくては、私のペンのもとに彼らを生かすことはできないだろう。

でも、私はロルを別なふうに作ろうとした。マイケルに対する彼女の愛については、ほとんど何も書かなかった。彼女が彼に《気違いじみた情熱》――タチアナはそれをあまり信じない――を抱いたことを強調したにすぎない。その代わり、カジノでと、その後の数週間のあいだの彼女のようすを大きく取り上げた。彼女の心が、あのとてつもない恋人たちと共に運び去られ、そのときからほとんど正気を失ってしまった、ということにしたかった。恋の痛手は私にとっては非常に重要なのだ。その時まで、ロルは風変わりではあるけれども、ノートのロルほど頭がおかしくはなかった、と私は思っている。

ところで、ほんもののロルは、彼女にとって非常に苦しかったあの試練を、健気に乗り切る。長い間、彼女は病気と闘ってきた。この病気は彼女によれば、フィアンセとの別離とは直接には関係がない。もしそう言ってよければ、誕生以来、病んでいたようにみえる。

つぎに私は、私のロルを町の中をさまよわせながら、徐々に気を狂わせていく。だが同時に、むしろふつうの女に仕立てた。《望んだわけではない》結婚をさせる。しかし彼女を、夫を彼女への欲情で夢中にさせるような、やさしく官能的な妻として描くことには成功していない。そのことに関しては、彼女は私の紙から抜け落ちてしまった。私のペンはうまく彼女をとらえられなかった。彼女は三人の子供を持つのだが、子供たちへの愛情にあふれた彼女を想像することはできない。彼女は両親の家にふたたび住み、その家を偏執的に整えている。私は彼女を何かに非常に気をとられているように描く。それは時折彼女をまるごと襲う。例えば、庭の小道を設計する時、彼女が変なふうに間違ってしまうのは、このせいなのだ。彼女の精神の不安定さの表れである

だが、彼女を性的欲望の中に描くことに苦労するとしても、性愛なしに生きさせることも全く同様にむずかしい。私にはできない。繰り返しになるが、私にとっては想像もつかない。ライ麦畑の中で、彼女がマイケルと愛を交わすことを夢み、《毛を赤毛に染め、そばかすが散っていて、海のイヴという感じで、日にあたると見劣りするに違いなかった》女(アンヌ=マリ・ストレッテル)の中に姿を変えている自分を想像し、ジャック・ホールドのかたわらのタチアナに成り代わろうとしていることは明らかである。だから私はタチアナにすがり、私の小説の女性の官能性を、みな彼女に負わせているのだ。なぜならロルにはどんな官能性も想像できないから。私の見たロルは、いつも《病的に若いまま》で、《いかめしいグレーのコート、時代の好みにあわせた暗色のドレス》を着ている。

彼女をT.ビーチにジャック・ホールドと共に戻らせて、話が最後まで私の納得のいくようにつとめた。彼女はカジノではどんな反応も示さなかったけれど、私はついに、彼女がT.ビーチでジャックと愛をかわし、歓びを感じ、叫び、アンヌ=マリ・ストレッテル、あるいはタチアナ、あるいは二人と自分を同一視するようにもっていくことができた。この場面を書くのにはとても苦労した。私が使った言葉は、すべてがふさわしいものとは言えなかった。たいへんだった。そのあと、私は彼女の気を狂わせた。本当に。彼女はとりとめのないことを口走り、ジャック・ホールドと一緒に泊ったホテルの中に警察が来ていると思い込む。

最後の場面で、ロルはジャックとの間に何もなかったかのように、ライ麦畑に眠りに来るのだが、彼女は愛するために、ラブホテルである森のホテルにいつものようにやってきた恋人たちを通して、愛するために来たのだと、私はやはり思っている。こんなふうにして彼女が治っていくだろうと私が思ったのかどうかはわからない。それもありえるだろう。
それに私は、ノートのロルが、尋常ではない彷徨の疲れをいやすためにだけ、ライ麦畑に来たのではないと思っている。タチアナとジャック・ホールドがライ麦畑の目の前の森のホテルにやって来たのがわかった時、彼女は自分の身体で愛を見つけ出せるように、そこにまたやって来たのだ。女性特有の、深く潜在する無意識の愛の本能にかられて。おそらく本能が、まだとりかえしがつくと、彼女に告げていた。

しかし、私には本物のロルの書いたバリエーションは受け入れがたい。日記のロル   はあまりにもほんとうらしくなく、あまりにも身体をはなれすぎていると私には思われる。もう一度繰り返すけれども、不滅ということすら、私にとってはすべては身体を通してやってくる。例えば、大好きな兄のポーロが不滅だということも、私は身体で感じとったのだから。心が、そして特に身体があれほど孤独なのに、彼女があんなふうな歓びを感じたというのは、私にはありえないようにみえる。そうだ、そうは信じられない。

だが、私は日記のロルに多くを負うだろう。彼女のおかげで、私の中に彼女の世界と似通った世界がありうることに、気づいたのだ。これほど痛切に感じたのは初めてだった。きっと最初からその世界は私の中に存在しているのだけれど、私はそれを眠らせておく。絶対に浮かび上がらせたくない。私は全的に生きながら書きたいと強く願っている。性的に互いに燃え立たせ、滅ぼし合う恋人たちのことを書き続けていきたい。

私はあの小説を熱に浮かされたかのように、非常にはやく書いた。先に述べたようなロルの沈黙の魅力に捕まらないように、できるだけすぐに書き終えたかった。ということは、私や、ペンで時にははるか遠くまで冒険するのが好きな作家にとって、彼女が危険なほど魅惑的だと、私にはわかっていたのだ。白状するが、一時とてもこわかった。

でも私は自分に全然満足できない。あの《立ったまま眠っているような》女――それがノートのロルであっても、私の小説のロルであっても――が今後も長い間私を苦しめるだろうと感じている。アンヌ=マリ・ストレッテルのように、もしくはもっとひどく私を巻き込むだろう。カフェで彼女のことを見つめたりしなければよかった。まさしく運命の日だった。


(終)


 
 ◆引用は平岡篤頼訳『ロル・V・シュタインの歓喜』より。



【管理者の注】
 Le Ravissement par Lol.V.Steinの日本語訳。デュラスの作品「について」語るのではなく、その中へと読み入り、さらに突き抜けていこうとするグルナックの新境地が示された最も興味深い一遍となった。
 文学エッセーのように、あるいは論考のように、いつまでも安全地帯に立ちながら作品「について」語るという無難で「理性的」な姿勢、それを自ずと必然的に離れ、デュラスの作品の、また「作品」というもの自体の磁力に素直に誘惑されるがままに、積極的に危険な創作的思索のほうへと外れ始めていくグルナックの姿が、まことに生き生きと麗しい。文学作品は、つねに読者に、「なぜ、あなたは『について』でない書き方を始めないの?なぜいつまでも安全圏にいて読んでいるだけなの?おずおずとなにか『について』書いてみているだけなの?」と詰問してくる。ロラン・バルトを馬鹿にしたデュラスやユルスナール。で、あなたは?書かないの?「について」の外で書かないの?いつあなたは、ただ「書く」ことを始めるの?…グルナックの好きだったドゥルーズの言葉が思い出される。Ecrire, c'est devenir, mais ce n'est pas du tout devenir écrivain(書くことは「成る」ことだ。しかし、作家になることでは全くない)。
 この日本語訳は、原文とともに『水路』7号(2007年12月25日発行、大林律子編集代表)に掲載された。ここへの再録を快諾された加藤多美子氏に感謝する。

2011/01/27

「小さい兄ちゃんの死」 (マルグリット・デュラス『愛人(ラマン)』より)

                                                                                   chez elle, Daita, Setagaya, Tokyo   
                                                                                   photo by Masaki SURUGA






  エレーヌ・セシル・グルナック
  内田  泰子  訳


 『愛人(ラマン)』の中でマリー・クロード・カーペンターやベッティ・フェルナンデーズについて突然思い起こし、小説の本筋とは関係なく語り出したように、マルグリット・デュラスは、その下の兄、ポーロについても同じように思い出す。中国人やエレーヌ・ラゴネルとの物語を不意に中断して、彼女は三、四頁に渡り、大好きな兄の死について語り始める。
ある物語をするとき、いきなり沢山の話を、同時に語りたくなるものなのだ。創造力は、意識と感情のいくつもの層の上に同時に働き、確かな嗅覚は、私達の生の中に眠っているひとつまたは多くの領域を挿入することで、多かれ少なかれ決められている作品の大筋を、いつどこで覆せばよいかを知っている。それは扱われている主題にとっては、しばしば奇妙なものであり、だがその力を沸き立たせ、表面に現れるのを待っていた、そんな領域である。小説は、一直線ではなく、あらゆる方向へ向かう知性に導かれている。筆はもはや従うしかない。その基部に横たわり、しばしば私たちには合理的ではないように見えるもの全てを湧きいでるままにしておくとき、小説はまさに合理的なものになる。見えにくくあまり明白でないこの部分こそ、実際は、この物語を熱中して最後まで読み通すことができるように、通常の筋を通して、読者に発見させようとする魅惑を小説に与えているのだ。
 だから、作者がこの部分をここに置いたのは、偶然ではない。が全てに倦み疲れ、彼女が漠然と死にたくな漠然とひとりぼっちになりたがってい、そして一つのことを、これからの人生において、本当の苦行となるであろう、書く、ということだけを考えていこうと確信したこの場所にわたしは本を書くことにしよう。それが、その瞬間を越えたさきの、大いなる砂漠のなかに、わたしの眺めているものだ。わたしの人生のひろがりが砂漠の姿をとってわたしに見えてきているの

 マリー・クロード・カーペンターとティ・フェルナンデーズに関する頁は、著者女性の夢の理想、つまり、彼女たちの発する比類なく不可思議な、魅力や美しさ、そしてまた彼女たちの謎めいた生活によってこのような特別な女性たちの前で著者が強く感じたこのめくるめくようなものを明らかにする(エレーヌ・グルナック「『愛人・ラマンについて」参照彼女は、子供時代からに対する口にはしない賛美を持ち続け、やがて、それ『ラホールの副領事』と『ロル・Ⅴ・シュタインの歓喜においてアンヌ=マリ・ストレッテルとなるだろう。
 反対に、ポーロに対するこんなにも激しい絶望的な悲しみについてのこれらの頁は、少々予想外、一般に余り知られていな「マルグリット・デラスを私たちに発見させる。デュラスは、彼女自身が個人的に構築した、形而上学を語る。そしてまた、それらの頁は、おそらく母―上の兄―下のの三角形、彼女の文学的発想のもっとも豊かな源である少女時代の喜びと苦しみをもたらす三角形の中の彼女の生活に私たちをより近づかせることになるだろう。

              ★ ★ ★ ★ ★

 このように、出来事の年代を追わずに、マルグリットは、私たちに、唐突にポーロの死を告げサイゴンからの電報の句がどうだったか、わたしはもう覚えていない。下の兄が、だったか、神ニ召サだったか。記憶で神ニ召サだったような気がすフランスでこの電報を受け取ったとき、彼女がヴェトナムを去り、兄と別れてから、既に十年ほどの歳月が過ぎていた。そして、彼女がこの数行を書いたとき、彼が喪われてから、四十年以上が流れていた。しかし、これに続く数頁を通して、彼女は、長い間記憶の深淵に埋められていた、しかし、彼女の大きな苦しみを、予告なく恐ろしい力で蘇らせて、私たちに共有させようとする。まるで彼女の兄が、決して動かず、彼女の前に横たわっているかのように。

 まず、彼女はその電報を読んだとき、精神はもうろうとし、ぼうぜん自失した。彼女はそれ理解不能なことと呼んだ。ついで全てを揺り動かす苦しみ、彼女が息子を失ったときよりももっと強い苦しみがあった。なぜなら、ポーロについては、彼女には彼を知るための時間があったから。彼は彼女が十七才になるま活を共にしていラスここ『愛人におけるもっとも主要で、もっとも象徴的な、水と流動性のイメージに立ち戻る。それは、彼女が中国人と、そして運命と出会った、メコン河の膨大な水の上であり、彼との最初の性的経験で彼女が連想した厳かな海あっ変えられ、ゆっりと剥ぎ取られ、悦楽のほうへと運ばれ、悦楽と混じり合う。海、かたちのない、単純に比類のない。しかし、ここで暗示される海の要素は、恐ろしい。それは、足元をすくう高波のような、こんなにも彼女が愛した死者を思うときの不安定さだっ急激に、いたるところから、世界の奥底から、苦しみが押し寄せてくる。それはわたしをすっぽりと包み込んだ、運び去った、わたしには何もわからなかった、わたしはもはや存在することをやめてしまった、ただ苦しみだけが存在してい
 マルグリットは、おそらく、彼女自身の子供の死を受け入れていた。しかし、彼女は兄の死を受け入れることを拒んだ。生まれてすぐ死んだわたしの子供のほうはわたしは知らなかったし、そのときは自殺したいとは思わなかったが、こんどはちがっ。デュラスは、兄の死を嘆いたが、それはもはや私たちを驚かすことのない、彼女らしい方法であった。いつものように、興奮は、心底まで達し、打ちのめす短刀の一突きのように、彼女の筆の下に滑り込み、もっとも削ぎ落とされ、もっとも禁欲的な言葉となる。それは、彼女が語ろうとするものに、ほとんど異議を唱えることができない一種の悲劇的な真実を与えるのだ。彼女は、悲嘆にくれた妹の悲しみを大声で叫ぶがそれはまたその兄の終わりを嘆くものでもあった。常に、彼女にとって、ぴったりな言葉を見つけ、もっとも具体的で、もっとも肉体的な事がらを言い表すために、彼女は二―三頁にわたってこの言葉で語る。彼女のポーロに対する愛着は、不条理に近く、透視力や、身体の不思議や、彼女が完全に信じていたように見える不死の不思議にたいする洞察力、ともいえるものを彼女に与えるものだ。ポーロの身体は、不死秘めための完全な集積所であった。彼の身体がなければ、それは存在できなかっただろう。反対に、ポーロの身体は神が顕現し身体であり、言いかえれば、光の、神々しい本質の身体であった。二十七年の間、彼の身体を生きさせたこの力の巨大な美の前に、デュラスはひれ伏していたように見える。信者であろうとなかろうと、彼女の兄に対する無条件の情熱は、彼女を神秘主義にめざめさせ、兄のためにキリストの受難を引き受けるかのように苦しんだ。彼女にとって、兄は聖母マリアの息子と同様に純粋であったのだから。

 だが、彼女は言おうとはしないが、彼の魂の存在、まして、あの世、仮にこの言葉を使えば、あの世での彼の運命が重要なのではないのだという事実に着目するとおもしろいただ彼だけが重要でありそれはつまり存在であり、物質であり、感触である。彼女にとって、愛は本質的に、欲望の中に、身体を通して表現されるものである。彼女が小説の中で語ったことに戻ろうわざわざ欲情を抽きだす必要はなかった。ある女のなかに欲情が棲まっていれば男の欲情をそそる、あるいはそもそも欲情など存在しない、そのどちらかだった。女のなげかける最初の眼差、それだけで、すでに欲情がある、あるいは欲情はかつて存在したことがない、そのどちらかだった。欲情とは性的関係への直接的な相互了解、あるいは何ものでもない、そのどちらかだった。このときも、同じくわたしは実地の経験以前に知っ
 愛? 近親相姦的傾向によってかきたてられる、官能と性欲? ある意味で、彼女の母親の上の息子に対するそれと似通っている、度を超した独占欲?誰がそう言えるのか? デュラス自身も、彼女がここでこう言っているように正確にはそれを知ることができなわたしが彼に抱く非常識な愛情は、わたしにとってうかがい知れぬ神秘のままにとどまってい

 いずれにせよ痛切な第一段階で、電報によるポーロの死の知らせにすぐに続いたあんなにも大切な理想化された彼の身体に対して、マルグリットが反乱をおこした。人は、ポーロであったことを理解しない。どうしたら人はこの点で誤ることができたのだろう?!
 情熱的で、同時に感情的である長口舌の中で、妹はこの恐るべの責任者を非難する。それは誰? それとは誰? それは人間? なぜな彼女の兄はがなかったために、救うことができなかったのだから。それは戦争中だった下の兄は気管支肺炎で、三日で死んだ、心臓が持たなかったの
 あるいはそれは神?神の規模に達する無茶苦茶と彼女は断言する。彼女はこれによって厳密には何と言おうとしたのだろう? 神は、その子を十字架上に見捨てたように、兄を見捨てた、と言うのだろうか?
 それとも彼女の兄は、すでに見たように神が顕現した身であり、彼の死は神自身の死に匹敵するものであって、全世界を永遠の闇の中に陥らせるものだとでもいうのか?おそらく、これら全てだろう。いずれにしても、私たちは宇宙的な悲劇にかかわりあうのだ、全世界にとってもっとも貴重な物質の取り返しのつかない消失という悲劇にところがわたしたちは、この身体にこそ不死が宿っていたということ、それを見抜かなかったのだ。兄ちゃんの身体が死んでしまった。不死も兄とともに死んでしまった。しかもこうして、いまも世界はつづいてゆくなんて、神の顕現したあの身体が、あの顕現が奪われてしまったというの

 極度の悲しみの中で、熱狂的なまでに情の深い妹は、ある種の言語散乱に捕らえられたように見える。動揺が原因で精神が錯乱し、言葉を選び損ねて、発言しながら口ごもってしまうかのように。この知らせの与えたショックは、彼女に、いくつかの葉や現を度も繰り返させていたの……小さい兄ちゃんは不滅の存在だったのに、その姿がもうみえなくなってしまった完全に間違い。十行程の間に、著者は、不定代名詞を五回という語を三回使うのだ。彼女は同様に無茶苦全世の語も繰り返す。
 確かに、私たちに衝撃を与え、無知な麻痺状態から目覚めさせる、とても強い言葉がそこにある。彼女は、この運命的な局面を、ほとんどの動詞を、複合過去と大過去とを用いることで、より一層強調する。このように立体的に、不幸が起こったことを書くと、もうそこに戻ることはできない。しかしもしその動詞が単純過去で書かれたら、出来事は歴史の中に入ってしまい、決着のついた事件となるだろう。反対に、複合過去の場合は、過去の中に入るが、現在や未来におけるその影響は、必ず感じさせられるし、永遠に人類の生活を悪化させ続けるだろう。世界はもう以前のようではない。
 それは、突然私たちを包み込む聖書の息吹のようだ。ゴルゴタの丘で、キリストが息を引き取った後に轟いた荒々しい雷鳴を思わずにはいられない。

 もっとも現世的で、もっとも肉体的な苦しみは、その中に人間と神とが共存する身体への壮麗な敬意を通してあるのだ。

 不器用で、稚拙なように見えるこの節の全てが、実際はデュラス自身の文体をよく示している。極端に削ぎ落とされているが、とても個性的である。あえぐような、しかし恐ろしい力のエネルギーを内に秘めて、これらの繰り返しは、文章のリズムと、疑いや批判を許さない主張を帯びた断固とした調子を加速する。独特の文体は、その言葉本来の意味において、愛についてだけでなく、生と死についての哲学の神秘と普遍のなかに出来事を刻み込む。

              ★ ★ ★ ★ ★
 そして、この兄の死、こ無茶苦、この最初の犠牲者は、マルグリッ卜である。彼女は彼とともに死んだ。そこにはこの明晰さじつに単純この全知を与える愛しかなかったのだから。一方の死を理解することで、他方の死も同じ時間の閃光のなかにある。愛するものと愛されるものは、ひとつでしかない。そして、身体がなくては愛することができないので、それはデュラスにとって絶対に必要なものだっわたしのほかは、だれひとり見抜いていなかった。わたしがこの認識に、じつに単純な認識、つまり下の兄の身体とはこの私の身体だという認識に達していた以上は、わたしは当然死ぬはずだった。そしてわたしは死んだ。小さい兄ちゃんがわたしを自分のほうに寄せ集めた、自分に引き寄せた、そしてわたしは死ん。そしてまた、彼女は波運び去のを感じた。海の波ではなく、虚無か、あるいは二人ともに、もう戻って来られないどこかの波にである。しかしもっとも重要な点は、彼らが永遠に一つになることだ、下の兄は、彼女を自分のほう寄せ集めのだから。
 ここで彼女はもう一度、彼女が彼をいとおしみ、どれほど、不幸にも、人が愛することを知らず、愛や感情移入の本当の意味についてほとんど理解していないように見えるかを強調する。しかし彼がいなくなれば、それでおしまいあのひとが、下の兄が死んでしまったのだから、何もかも、かならずつづいて死ぬはずだった。あのひとのために死ぬはずだった。一連の死が、兄ちゃんから、死んだ子供から始まるのだっ。こんなにも若い人、デュラスがしばしば、彼だったと繰り返すが、その死は、残された人びとを荒廃させる。それは、妹の息の根を止め、彼女から、彼のため、その思い出のためでさえも生き続けるエネルギーを奪ってしまう、出口のない絶望のようだ。彼女にとって、生きるとは、他者を欲望することなのだ。他者とは、この欲望の具体化なのだ。だから、兄の死は、彼女の彼への欲望の死と同格なのだ。ただ一つの望ましいことは、生きることをやめること、それほど耐え難い状況なのだ。

 それ以前に、調子と文体は拒絶と抗議のそれであり、その二番目の局面において、すべては短調になり、死のうえに集中する。デュラスは、何回もこの言葉を違う形で繰り返す死、死ぬ、死ん、彼女の兄を指し示す代名〈彼をまたしばしば繰り返しながら。それは、このすべての行に、苦しいあきらめと認めざるを得ない悲壮な距離の保持という印象を与える。それは墓前で瞑想するようなものだ。その墓のなかに、妹は彼女白身の身体をおいて来たのだ。永遠に、とても愛した身体の横で安らぐかのように。
 マルグリットが彼女の兄を兄妹としての愛情だけで愛したのだったら、疑いなくその喪失をほかの方法で受け入れることもできただろう。彼女はそれを余りに芝居がかって、あまりに大仰に見ている。なぜなら、妹として以上に、それは、その半身から荒々しく切り離された苦しみにうめいている身体なのだから。そして、書くのもまたデュラスである。彼女のすばらしい筆は、異論なく、個人的な悲劇をラシーヌや古代ギリシャの作家の悲劇と同じ高みに引き上げることを許すのだ。

              ★ ★ ★ ★ ★

 反抗、次いで深刻でゆっくりした反応の中で内的の後で、三番目の局面が続く。そこで、長口舌は、再びほとんど断定的な調子で、とりわけ一連の補足節によって再開される。ここで、著者は彼女の論拠に反対するすべてを拒否しようとしているように感じられる。それは不死の死への拒絶ではない。デュラスはこの明白な事実を前にもう後退はしない。不死は死ぬ。ポーロの死は、このことの明白な証明である。
 だから、この避けて通ることのできない真実を人々に知らせなければならない。なぜなら、今のところ、それを知るのは彼女だけなのだからわたしのほかは、だれひとり見抜いていなかっと彼女は明言する。その戦いの計画はとてもはっきりしている。私たちを説得したいと思うすべての論拠に従うだけだ! しかし、もう一度言うが、デュラスにおいては、抽象的に、簡単に述べられていることは、そこに言外の意味がいろいろと含められており、存在論的あるいは形而上学的な問題についてあまりくわしくない読者にとっては、常に明瞭だとは限らない。

 まず、彼女は言う人びとにこのことを知らせねばなるまい、不死とは死すべき運命にあるということを、彼らに教えなければなるまい。不死も死にうるのだということを、それが起こってしまったということを、また起こるということを。不死とはまぎれもない不死としてはっきり見えているものではない、断じてそうではないということ。それは完全なる二枚舌だということ。それは細部には宿らず、ただ原則のなかに存在するだけだというこ。これによって彼女は、不死は決してそう見えるものではないと言いたいのだ。それは二つの顔を持つ。それは存在する、同様に、もはや存在しないこともある。彼女が数行後で私たちに説明するように、それは私たちの身体を伴う私たちの生に結び付いているからだ。そのために理解することがとても難しい。一方、それである、つまり、すべての根本的な原因の一種であり、それは説明されず、人間にとって謎のままで永遠に残されるものなのだ。あるがままに受け入れるしかないのだ。

 次に、デュラスの考えは、明確でより具体的になるが、より単純ではない表現法を用いる。例えば、彼女はこう述べるある人びとがそれの現存をうちに秘めることのできるのは、自分ではそうだということを知らないという条件においてだということ。また同様にほかのある人びとが、そういう人びとのなかに不死の現存を見破ることができるのも、同じ条件つまり自分にそれができるということを知らないという条件においてなの。それは、人間を二つの種類に分けているようだ。一番目は、生まれながらに、自身の中に不死が存在することを知らない状態のなかに生きるこの人たちはそれうちに秘め。それに対して、二番目の人々は、一番目の人々のなかに、すべてまた直感的に不死見破だ。いいかえれば、不死とは完全に自然で無意識的な、交換の流れ、望むものと望まれるものとの間の抵抗できない魅惑的な引力なのだ。そして両者の融合は、説明し正当化するいかなる論理もなく、行われる。

 不死は、だから、欲望と愛である。しかしデュラスはこの二つの状態、欲望と愛に、あまりにも大きな、あまりにも強い力を付しておりある人びだけしかそれを生き共有することはできないことを明言する。不死はすべての人々にもたらされるものではない、それに値しなければならない。ポーロは、そうと知らずに、彼の無知の全体的な純粋さのなかにそれを持ち、マルグリットに、彼女の彼に対する優しいイメージの中に完全に溶け込むために、受け取ろうとしている彼女に、もちろん知らずにそれを与えた。それが彼女にとって、不死だった。それはあまりに単純だと考えることもできる。だが、全然そうではない。計り知れない宇宙と同じほど大きな感情だった。それは私たちに、神の息子に対する愛を思わせる。人が今まで説明できず、これからも説明できない愛、なぜならそれは生きているから、それはのなかだ。

 デュラスは不死を時と突き合わせながら、その哲学を続ける。彼女は、不死が、現在のなかに、私たちの身体のなかにその生がある間だけしか存在しないことを確信している。それがなくて、私たちはどうやってその存在を知ることができるだろう? 不死は私たちには見ることができない。私たちは毎日の生の中に生きているのだから。私たちはむしろ死の後に、どこかの永遠の中に、それを遠ざけようとする。だが実際は時間の観念の中に不死を見ることはできないのだ。デュラスは言う不死がおのれを生きているかぎり、生は不死であり、その一方で不死は生のなかにある。不死とは時間の多い少ないの問題ではない、それは不死の問題ではない、それは何かほかのことの問題なのだが、その何かほかのこととは、いまなお未知のままにとどまってい。彼女は、その本質の理解には、人間の意識は決して到達できないことをより一層明確にする。
 一方、それが精神から来たということは、また全く不条理だ。精神もまた、定義できず、捕らえることのできないものなのだ。それは風を捕まえようとするようなものだ不死とは始めもなく終りもないと言うことが誤りであるのと同じように、不死が精神を分有し、そしてまた空なる風の追求を分有している以上、それは精神の生とともに始まり、また終るというのも誤り

 著者は、身体の中の不死に関して、私たちに一つの例を挙げて、彼女の立派な論証を終える。それは、人がすぐに、その生において、眼前に見ることのできる、一つの耐え難い真実だ。砂漠の死んだ砂を、子供たちの死んだ身体を見てごらんなさい。不死はそこをとおりはしない、足を停め、迂回してゆ

 このデュラスの考えに間違いなく近いルベル・ミュについて考えてみよう。なぜ私たちにとって、存在の苦悩を静めるために、死後の方がより良くより慰められるというのか?すべては現在にあり、どこかほかの時のほかの場所を探す必要はないというのに、私たちはなぜ現在を拒むのかなぜなら、人間にとって現存を意識するとは、もはやなにものにも期待しないことだからこの世のあらゆもっとあとをぼくが執拗に拒絶するのは、同時に、ぼくの実存の豊かさを断念すまいということを物語っている。死がもうひとつの生をひらくと信ずることは、ぼくには嬉しくない。死はぼくにとっては、閉じられた扉ぼくに提起される一切は、人間から、その固有な生の重荷を取り去ることに汲々としている『結婚、ガリマール刊 1950年)

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 ポーロの固有の不死から、デュラス、一普遍へと移って行く、もう一度固有へ、兄の不死へ戻ってくるために。重要な細部を付け加えることは、彼女の関心を強く引くようだ。彼の不死の例外的な純粋さを、彼女はキリストのそれと対比しようとしているようだ。キリストのそれよりも、もっと純粋な不死。なぜならキリストはこの地上に実現するべき宇宙的規模の使命を持っていたのだから。彼は世界の醜さと隣り合わなければならず、その父なる神の教えを、それを聞こうとしていない群衆に説かなければならなかった。しかし彼はすべてを成し遂げる力をもっていた。ーロ、彼は、何も、あるいはほとんど何も知らなかった。彼はなにものでもなく、だれも彼に期待しなかった。彼は奇跡を起こさなかった。彼は生きることへの恐れ、すべての不安を体現していた下の兄に関しては、問題となったのは、欠陥なく、伝説なく、事故のない、純粋の、ひとかたまりの不死のことであ彼は教養がなかった。何であれ知識を身につけることがどうしてもできなかっそれは、ものごとを理解せず、そして怖がる、というようなひとだっ
 そして彼には何も言うことがなかった。あそこでも、ここでも、何、デュラスがこう付け加えたとき、キリストへの暗示はより鮮明になるあそこでも、ここでも、何と言う言葉によって、地上のメシヤとなり、キリスト教の信仰によれば、天国においてもその仕事を続けているキリストと、ポーロの何もない生との対比を、彼女はより一層強調しようとしたのだろう。あるいは、彼女は単に家族の中で、そして家族の外に、他人にと言いたかったのだろうか?何も彼に触れたことはない、汚れも。何も彼の透明さの輝きを失わせない、苦しみさえも。彼は何も感じていないようだった。ある意味では、彼は完全だったときには苦しみかたも知らないんじゃないかと思われたほど。ここで、彼女は、二人のために苦しむのは彼女しかいなかったと言いたいのだろうか? そして、その苦しみの中で、とても孤独に感じていたと?

 デュラスは、その兄の死について語るのをやめ、子供時代の思い出を語ることで、兄についての熱狂的で信じがたい想起の輪を閉じる。上の兄の恐怖の影や母の不幸の中での彼らの日々の生活について。妹が作家になるという願望を持っていることを考えると、驚くほど単純なポーロの好(車、狩猟用カービン銃、機械について。そして、彼女が記したその生活の平凡な細部のすべてが、もっとも美しい不死が人間の中で、ポーロとして表れたことをも示そうとしてはいないだろうか?
 だから、私たちの目に兄の価値を減少させるのではなく、反対に、そのかぼそい肩に完全に引き受けたかに見える妹の大きく揺るぎのない愛によって、このくだりは彼を気高くしている。わたしは永遠に彼を愛しているこの愛には新たな事態はけっして起こりえない、と思われた。わたしは死ということを忘れていたの。ポーロ、この世でただ一人彼だけによって、マルグリットは不死に生きられたのだ。

 彼女は、彼について語るのをやめた。多くの年月が過ぎた。彼女は眼前の自然を眺め鳥の声を聞いていた鳥はあらんかぎりの力で啼く、気のふれた鳥たち。だが、彼らの、啼き声が、もし不安と悲しみを表しているのならば、また、それは生が再び始まることを示してはいないだろうかにつづく超自然的なによる新しい不死を?そして、そ〈光とは、そこから始まり、永遠に繰り返ではないだろうか?しかしそれは私たちの身体のお陰であり、身体がなければ、私たちは精神がそこに存在することを意識することはできないのではなかろうか?

              ★ ★ ★ ★ ★

 そこで、このような疑問を提起することができるだろうか。デュラスはなぜ、この単純すぎるほどの兄を、この二歳年上の小さい兄ちゃをこんなにまで愛したのだろうかと。
 作家の人生を簡潔に見直してみると、彼女の父が彼女が四歳のときに亡くなり、彼女には重要な父の思い出が何もないということに気づく。彼女の家族、三人の子供達のすべてを担っていたのは、母親だった。二人の息子は、彼らの人生において、何一つよいことをしなかった。そして娘は、マルグリットは、際立った知性を持ち、その二人の兄とは正反対だった。

 しかし、彼女の母は、すでに彼女自身解決できない問題を抱えていた。それは、過度の責任に押し潰された母親であり、寡婦であるという彼女の状況では完全に説明しきれない、慢性的な鬱状態のようなものに悩まされる一人の女だった。デュラス自身、すべての子供達に影響を与えた、この不治の憂鬱の本当の原因を決して理解できなかっそのようにがっくりと生きる気力を失ってしまうことを、母は毎日のように経験していたどれほどつよい生の幸福でさえも、ときとして、母の気持を絶望から完全に引きはなすまでにはいたらない、それほど純粋な絶望によって絶望した母親を持つという機会に、わたしは恵まれたのだ。いったいどんな種類の具体的事実のおかげで、母の気持がそんなふうに毎日のようにわたしたちからはなれてしまったのか、それを知ることは永遠にないだろ

 一方で彼女はその一番目の息子に、まるでほかの二人の子供が彼女にとって存在しないかのように、執着していた。彼女が、むだに終わったとはいえ、金銭を得るために試みた、ヴェトナムで太平洋岸の払い下げあるいはフランスで電気孵卵器によるひよこの飼のすべては、ポーロのためではなく、マルグリットのためでもなく、その長男のためだった。この盲目的に愛された息子は、三人の子供のうちでただ一人、彼女がうちのと呼んだ子だった。彼に、彼女は言ったおまえ、あたしはおまえが、いまだにその年で、そんなふうだっていうことを自慢に思っている…… 猫みたいに痩せててねえおま木立の中の日々ガリマー刊1982彼女は、娘が中国人と関係を持ったことを恥じ、すすんで、溺愛する息子が、妹をなじり、叩こうとするままにさせていたが、彼女は、たとえ息子が彼女から盗み、差恥心もなく最後まで彼女から搾取し続けても、揺るぎない誇りを彼に感じていたそういうのは、あたしだけにしかわからないちがった誇りなのさ。だから、あたしがつらいのもそのことだけなんだよ、おまえ、それだけなのさ。あたしだけにしかそれがわからないっていうのに、そのあたしが死んで行く、あたしが死ねばだれも、そんなことを誇りには思わないだろうって考えることだけなんだ『木立の中の日々。母親の子供に対する、特に最初の子供に対する、盲目的な愛と人は言う。しかし、マルグリットにおいては、そのほとんど病的なまでの同様な愛着は、その兄、ポーロに向けられ、後には、彼女の二番目の息子に向けられているのだ。娘は、その母親と同を再現したかのようだ。

 ところで、このような状況の下で、この家の唯一の娘であるマルグリットは、どのように成長したのだろうか? 彼女には、まず少女時代、次いで青春期の個人的な小さな問題の数々を打ち明けることができる姉妹がいなかったし、母親に対してそうすることなど、不可能に思えた。他方で、この母親は、娘に実際的な教育をすることが不可能であっただけでなく、教育することを実際は望んでもいなかったように推察できる。彼女は、何よりも熱愛する息子に関心を寄せ、実際、マルグリットは邪魔だったのだ貧弱な少女の身みっともないあの痩せた姿の子供が、彼女のように、母親のように女になっていくだろう。そして母親はおそらく、思春期の難しい時期、そして若い娘というもっと難しい時期を通って行く娘を手助けしようとは、面倒を見ようとは、思わなかったのだろう。彼女はその時代にもう戻りたくはなかった。それは彼女に、若いときを思い出させるだろう。彼女の若い時代は、すべてを自分の中に秘めて、彼女自身でやっとのことで、彼女に出来る限り、切り開かなくてはならなかったのだ。なぜなら、その時代、そういうことについて、たとえ実の母に対してさえも、話すことは無作法なことだったのだ。個人的な問題の分野で、謹みは厳格だった。母は知っていた。女性にかかわるすべてのことは、常にタブーであると。それで、彼女はマルグリットにも同じ方法で振る舞ったのだ。デュラスは、決して、少なくともこの小説の中では、その母との、例えば性に関する、開放的で自由な、本当の会話、というものを想起していない。娘が中国人の愛人になってからは、もっと少なくなる。それでも、この点に関して、とても早熟で、こんなに知性的なこの娘は、このことについて母親と話し合うこともできただろうに……。

 しかし、マルグリットが母を当惑させたのには、まだほかの理由があった。娘との本当に親密な関係は、母の姿を剥き出しにし、母に疑いなくその人生における挫折を気づかせるのだ。娘は、彼女の母親がすべてを疑うようになったことを知っていたように見えこの結婚をこの夫をこの子供達際、母は本当の愛を一度も知らなかったのだ。彼女はいまだかつて本当に愛されたことも愛したこともないの繕ったストッングをはいた女の幻像が部屋を横切った。女はついに子供のような姿をあらわす。息子たちはすでに知っていた。娘は、まだ。彼らは妹と一緒になって母の話をすることはけっしてないだろう、自分たちのもっている知識、自分たちを母からはなす知識、あの決定的な、最終的な知識、母親の子供っぽさについての知識のことを。母親は悦楽を知らなかっ
それで世界のすべての若い娘たちと同様にすばらし理想的な愛のイメージを彼女自身育まずにはいられなかっ……やつれた身なりにうかがわれるある種のだらしなさそし眼差のけだるの中で、それは消えうせていた。
 しかし、母は、やっと十五歳で、そのかぼそい身体にもかかわらず既にこんなにも熟れて、女である娘にたいして、ひそかな羨望を感じていたのかもしれない。マルグリット自身こう述べる欲望のための場所がわたしのなかに用意されていた。十五歳で悦楽を知っているような顔をしていた。でもわたしは悦楽を知らなかった。そういう顔立ちがじつにありありと見えていた。母でさえ、それを見たはずだ。兄たちには見えてい
 母は、決して娘と愛について話さない、しかし、彼女の犠牲にされた、そして彼女の人間としての一番奥深いどこかにまだ巻きついていた女らしさが、突然、恐ろしい力をともなって、狂気を爆発さ目覚める彼女はある日娘が男性と出会ったことを感じ取ったが、それは、不名誉に対する恐れと同様に、ある種の嫉妬の大変な発作でもあるのだショロンで何が起こったか、母は何ひとつ知らない。でも、母がわたしをじっと観察している、何かあったらしいと気づいていることは、わたしに見てとれ母の人生に突如訪れた激しい不安。娘がいまこの上ない危険を冒しつつある、断じて結婚なんかしない、社会のなかで位置なんか定めない、社会をまえにして徒手空拳のまま、身をもちくずし、孤独でいるという危険を冒しつつあ。そして、ヒステリックな母は、上の兄の同意の下に、娘を叩く。

 したがって、十五歳まで、マルグリットは、母親の危機的状況と、二人の兄たちのけんかと恐ろしい孤独という息詰まるような環境で、ただ、書くという飽くことのない執拗な望みだけによって耐えて、生きていたのだろう。しかし、彼女と母親の間には、常に、上の兄の意向が存在している。彼女は、決して母親との関係愛と拒絶対立と愛情の関係から生じる自己を形作ることができない。要するに、親密さが耐えがたくなって初めて、彼女はある日、そこを思い通りに生き力を得ることもできるのだろう。そういう訳で、彼女はこの小説の最初の頁でこう述べるわたしの人生の物語などというものは存在しない。そんなものは存在しない。物語をつくりあげるための中心などけっしてないのだ。道もないし、路線もない。ひろびろとした場所がいくつか、そこにはだれかがいたと思わされているけれど、それはちがう、だれもいなかったの

 彼女がついに、生まれたこと、自分という存在を見いだしたという感情をもったのは、メコン河の上で十五歳半の時だった。それは、しかし、彼女たちは互いに影響しあうことがなかったので、母親からの解放によってではなく、ただ彼女だけの、彼女自身の力によってであったまさにこの旅の途中で、あの映像ははなれて浮かびあがったのであろう、あの映像が全体から取り出されたのであろ《写真を一枚撮るということがありえたかもしれなしかし、それは写真には撮られなかった。あまりにささやかで、写真に撮ろうという気持ちをそそらぬ対象だっ。デュラスはここで、どれほど彼女が母親にとって重要ではなかったかを、あるいはもっと正確にいえば、どれほど彼女の母親が、彼女つくられことを手助けしなかったかを、苦しげに強調する。そうして、それは起こった映像だけがはなれて浮かびあがり、全体から取り出されることは現実にはなかっこの像がつくられることはなかったというこの欠如、まさにこの欠如態のおかげで、この像は独自の力、ある絶対を表現しているという力、まさしくこの像の産出者であるという力をもっている

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 それ妹は小さい兄ちゃに執着する。彼女のすべての力をもって。彼女は、彼とてつもない愛を抱く。多かれすくなかれ、二人で放っておかれたので、彼らの二歳だけの年齢差は、ほとんどすべての彼らの生活、とりわけその遊びを分かち合わせた。ボーロが兄に対する母親の愛をどう思っていたかはわからない。彼女はまさにこう言っ苦しみ方も知らないんじゃないかと思われたほど、しかし、それは確かだろうか? いずれにしても、彼女は上の兄から下の兄を守ろうとしていた。ポーロは弱く、すべてを恐れていたから。そしてもしデュラスの人生において、実際、近親相姦があったとしたら、彼は、彼女が永遠に愛し続ける最初の男性であっただろう。だが、ポーロは妹をどのように愛したのだろうか? こは、相互のものであったのか、それとも一方的なものだったのか? デュラスは『愛人のなかで、この点については明確にしていない。彼女は、ただ弱い男たちへの愛着をのぞかせているだけであ彼女の優れた作品の一つであ『ラホールの副領事の主人公もまた、あまりに繊細すぎて、美しいアンヌ=マリー・ストレッテルをプラトニックに愛することしかできない男だった。
 ポーロは、確かに、他人に周到に隠していた家族の中のつらい生活を耐えるために、マルグリットの大きな助けであっただろう《こうしたことすべてについて、わたしたちは外では何も言わなかった、わたしたちはまず、うちの生活の原則をなすもの、貧困については黙っているということを学んだ。それからまた、ほかのすべてについても、打ち明け相手こんな言葉は途方もないように思えるけれ として最初に登場してきたのが、わたしたちそれぞれの愛人であり、まず白人居留区の外で、サイゴンの街でわたしたちの偶然出会った人びとであり、次いでフランス航路の商船で出会った人びと、汽車で出会った人びとであり、ついでどこで会った人びとでも、となってい。妹がこの兄との間にもつ境遇の共通性は、彼女が母に対して感じていたすべての愛情を彼に振り向けようとする。しかし、彼女の母は、お気に入りの息子のことしか考えていなかったので、それに気づかなかった。この愛はまた、彼女に生を与えたその人から、受けることを絶望的にもマルグリットが望んでいたものだった。その感情の中で二重に妨げられた若い娘にとって、ポーロは、彼女の内面の均衡を少しでも守ることができるように、幸運にもそこにいた。

 だが、それにもかかわらず、彼女は上の兄により似通っているように見える。彼女は彼を嫌っていた。彼女は嫉妬によって、彼を殺したいと思った。彼の後には、彼女の母の心の中にもう場所はなかったから。しかし彼はポーロとは全く違っていた。彼は、皆に強制することを知っている。例えば、家族みんなが、中国人からレストランに招かれたとき、全員が上の兄の態度に従った上の兄が口をきこうともせず、わたしの愛人の存在を無視する態度は、まったく見事といっていいくらい、そっくりそのままこのような確信に発している。わたしたちはそろって、上の兄の態度をモデルにして、この愛人に対している。わたしも、兄たちのまえでは、彼に話しかけない。家族の見ているところでは、わたしはけっして彼に言葉をかけてはならないのであ。そしてもう少し後で、彼女は愛人についてこうまで言うのだ上の兄のいるところでは彼はわたしの愛人であることをやめいわば火傷をした痕になってしまう。わたしの欲望は兄に服従して、愛人を締めだ。マルグリットはその悪魔的な兄を恐れたが、その激しい恐怖は彼女に影響を与える魅惑と見合ったものだった。人は、ポーロ神の顕現した身、その完全な無垢から遠く離れている。ここで、妹の心に侵入するのは、悪の抗いがたい力だ。その上、彼女はポーロや愛人とは踊るが、決して上の兄とは踊らないことを明言する彼と踊ったことは一もないいつでわたの気持の邪魔をするひどく気がかりなことがあるから危険じゃないかという危惧兄があらゆる人びとに及ぼす不吉な魅力がこわわたしたちの身体が近づくのがこわ

 この兄には、マルグリットをひきつける何かがあった。彼はすべての過度の行為を身につけていた。阿片を吸い、母から盗み、妹とポーロをこわがらせた。彼はハンサムで、魅了することを知っていた。だれも彼に逆らえず、彼にひれ伏していたのは、彼の母だった。家の中で、彼はまるで神のようだった。勿論マルグリットは彼女なりのやり方でしたのだけれども、彼は将来の彼女のすべてを予告しているのではないだろうか。もし、この小説を自伝あるいは、作家の実際の人生から多くの着想を得ているものと受け取るならば、彼女は、とても若くして、愛していない金持ちの男の世話になるままでいて、彼女のすべての家族の面倒を見ることまで彼に頼んだのだ。そして、ずっと後に、パリで、アルコールにふけり狂気すれすれになり作家の人生大いなる砂を横切って行く。既に年とって、彼女の崇拝者の一人との最後の関係に生きるが、そこで彼女はそれでもやはり、彼の同性愛の関係に嫉妬するのだ。彼ら二人、上の兄と彼女は、自身の内にある運命を担っていて、存在論的重さはその肩に重くのしかかる。ポーロの純粋さがマルグリットに衝撃を与えたとするならば、上の兄の邪悪さが彼女に呪いをかける力はそれよりも大きかった。上の兄は、明らかに、ある種の彼女の精神の反映と、十二才のときに書くということに人生を捧げようと決めた彼女にとって興味深い材料とを体現している。

 ついに、マルグリットは、メコン河の上で言わたしはよくあの映像のことを考える、いまでもわたしの目にだけは見えるあの映像、その話をしたことはこれまで一度もない。いつもそれは同じ沈黙に包まれたまま、こちらをはっとさせる。自分のいろいろな像のなかでも気に入っている像だ、これがわたしだとわかる像、自分でうっとりしてしまう。彼女は、彼女自身が作り上げたということもできるだろう、しかし実際は一人ではない。彼女は映像が全体から取り出されて、はなれはしなかっと考える。私たちの考えでは、彼女は全体からはなれ、母親からすっかりはなれていた。しかし、鉛色の光の陰気さ、不透明さの中にいる母親は、ただ、その娘に、意気消沈させる欲求不満、愛情の欠如という恒久的な感情を成長させるに至るのだマルグリットは母親から彼女が何年もの間となりあっていたある種の影から、はなれた。そして、彼女が中国人に近づくままにさせたとき、彼女には、兄弟たちや母との恐ろしい生活から学んだことのすべてによって、その愛情関係を引き受ける準備ができていた。渡し船の上、閃光のようなもののなかで、母親が彼女を憔悴させる力を押し返す並外れた快挙を成功させるに充分な強さを持っていることを、彼女は不意に悟った。彼女を吸い込み、破壊するだろうこの力は、彼女を、いつか、この衰弱させる影響力による取り返しのつかない痕跡を持った人間にしたかもしれなかったのだ。
 疑いもなく、マルグリットは途方もないエネルギーを内に秘めていた。


   引用は、『愛人』清水 
            『結婚』高畠 正
            『木立の中の日々』平岡 篤
    但し、本稿の論旨により、一部変更した。


【管理者の注】
LA MORT DU PETIT FRERE (Dans l'AMANT de Marguerite DURAS)の日本語訳。『水路』6号(2007年6月30日発行、大林律子編集代表)に掲載された。ここへの再録を快諾された訳者の内田泰子氏に感謝する。加藤多美子氏、橋本印刷の雄澤氏にも御協力戴いたことを感謝する。