2015/08/15

マリア像の移動の思い出





  駿河昌樹
  (Masaki SURUGA)


 このマリア像は、エレーヌとルルドLourdes*を訪れた時に買った、ごくありふれた安い土産物で、ふだんは私の家に安置して、毎日、感謝礼拝をしている。
  *https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%89

 このマリア像にはふしぎな逸話がある。

 2010年夏、エレーヌの衰弱が激しくなった頃、回復を祈って、このマリア像を病室に持って行ったことがあった。
 マリア好きのエレーヌが気持ちを集中する一助になるようにと、ベッド脇の棚に置いてきた。

 ところが、しばらくして、このマリア像は忽然と姿を消してしまうことになる。病室は、着替えや書類などでなにかとごたごたするもので、しかもエレーヌは、お世辞にも整理上手とは言えない。たぶん、バッグのどこかか、紙袋のどこかにでもまぎれ込んでしまったのだろうと思い、病室内のすべてを探してみたが、いっこうに見つからない。
 エレーヌに聞いても、自分はまったく触っていない、どこにもしまった覚えはない、ということで、所在がすっかりわからなくなってしまった。

 数週間してから、書類を取りに行く必要かなにかで、炎暑のさなか、エレーヌの家に出かけて行った時、主人不在の家のぜんぶを一応見まわってみたら、寝室の奥のほうの木床の上に、このマリア像がぽつねんと立っていた。
 病院に居て家に戻っていないエレーヌが置くわけもないし、もちろん、私でもない。時々、エレーヌの荷物をこの家に置きに来たり、別の荷物を取りに来たりしてくれるエレーヌの友人たちに訪ねたが、誰もこのマリア像のことは知らなかった。病室にあるのは見ていても、バッグにしまったりはしていないし、ましてや、エレーヌの家に運んで、わざわざ寝室の奥のほうに安置するようなことはしていない。
 みんなの話を総合すると、奇妙なことながら、マリア像はひとりでに移動して、エレーヌの家の寝室に立ったということになる。

 これだけでもとんでもない話だが、マリア像が立っていたあたりが、じつは、いわくのある場所だった。「いわくのある」などというと、ちょっと言い過ぎかもしれないが、私がだいぶ前から何かあると感じていた場所で、近寄るだにちょっと不気味な、異様な感じのあるあたりだった。

 このことを話し出すと長くなるので、ごくかいつまんで言うと、私の霊視によれば、ここは巨大な動物霊が居座っている場所だった。
 話が話なので、眉に唾つけて読んでいただいてけっこうだし、これが他人から聞かされる話なら私も信じはしないが、自分が経験したことなので、真実などという大仰な言い方はしないまでも、自分が感じ、認識し、経験した、という点では本当のことだった、という他ない。
 エレーヌの家の寝室のそのあたりと、壁を隔てて、外の庭まで広がったあたり、つまり家の中と外とを跨ぐようにして、狸のような、猫のような、そのどちらでもないような、両方をあわせたようでもあるような、そんな巨大な動物が居座っているのが私には見えていた。ひょっとしたら、昔の伝説に出てくるヌエのようなものだったかもしれない。
 肉眼でいくら睨んでみても、そこにはなにも見えない。そこから目を離し、心の目でそこを振り返ると、ありありと見える。特に、夜に自宅で寝る時、エレーヌの家を想像すると、よく見える。
 想像の産物と言ってしまえば、もちろん、それで済む。ふつうなら、そう考えて済ます。しかし、生活のおりおりで、ふとこれが思い浮かび、ありありと見えて、気になってしかたがなかった。 

 エレーヌの衰弱がいよいよ募り、病院の担当医師からも、もう何が起こっても覚悟しておいてください、ホスピスに本当は移ったほうがいいのだが…と言われ、治療行為もすべて放棄された時点で、私はこの動物霊に対して、自分で働きかけてみることにしたのだが、…この後は長くなるので、また別の機会に書こうと思う。
 ここでは、とにかくも、まさにこの動物霊が居座っていた場所に、どういう具合でだか、マリア像がひとりで赴いて、そうしてぽつんと立っていたことを記しておきたいと思う。寝室に立っているマリア像を見つけた時、もちろん私はたったひとりで、しかも、動物霊を感じる場所に向かっていたわけだが、恐ろしいような、畏れ多いような、ふしぎな感覚に襲われた。
 エレーヌは、結果的には、この時の衰弱の危機を奇跡的に乗り越えたが、マリア像はその後もこの場所に残しておき、8月末にエレーヌが退院して来るまで、そのままにしておいた。

 マリア像のこの移動現象については、真相を知ろうとして(やはり、誰かがひそかにエレーヌの家に持って行ったのではないか?寝室の奥に安置してきたのではないか?etc.)、数人に話したが、誰もこのことについては知らなかった。
 もちろん、エレーヌにも言ったが、彼女の答えはいつものようで、「そういうこともあります」とか「きっと、必要があって移動したんでしょう」…だった。

 現在、このマリア像に対しては、毎日、水を交換して、感謝礼拝をしている。

(感謝礼拝とは、神道の礼拝法で、現状について、すべてについて、「生かしていただいてありがとうございます」との念だけを捧げるもので、生活上・人生上の一切の世俗利益についての要求を行わない祈り方である。一般に、世界中のあらゆる神仏に対しては、世俗のいかなる願望も欲望も向けてはならないため、この方法以外は許されない。念はチャンネルなので、願望や欲望の成就を祈ると、ただちに、そうしたレベルの、願望や欲望の圏域の霊たちに繋がってしまう。)




右上の装飾品は、エレーヌが若い日に旅した中近東で買ったもの。
これも、ごく安いありふれた土産物。
左上の木の十字架は、ルルドで買ったもの。
これはしばしば、日本の住居での浄霊の役に立った。





 












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