2017/08/24

エレーヌ自身の撮った写真

 駿河昌樹 
 (Masaki SURUGA)


 わずかな枚数だが、エレーヌ自身が撮影した写真が残っている。
 うまい写真ではないし、写真を撮る人たちが最低限心がけようとする注意もできていない。フレーミングに際しての気取りのようなものも見られない。
 しかし、エレーヌ自身の目と意識がファインダーの中に見ていた光景や風景がそのまま残されているという点では、今でもエレーヌを思い出す人たちにとってはいくらか貴重なものかもしれない。ほんの少しだが、エレーヌのまなざしの中に入ることができる。

 もともと、エレーヌは自分でカメラを扱うことに全く関心がなかったが、多少の興味を示すようになったのは、たくさんの猫と接するようになってからだった。
 私の持っていたカメラのうち、扱いの簡単な小型のものをひとつあげると、いろいろと撮り出した。まだ、フィルムを装着する時代だった。病気になる直前には小型デジタルカメラも与えたが、こちらのほうは十分に使いこなす前に闘病に入ってしまった。

 代田の家に引っ越した当日、隣りの家の庭で暮らしていた若い外猫のミミがひょっこりと入り込んで来て、それ以後、エレーヌと私の家で寝起きをするようになり、エサもたっぷりともらうようになったが、猫にもあまり興味のなかったエレーヌが、このミミのせいで猫への開眼をすることになった。
 ミミの世話だけで留めておけばいいのに、エレーヌは近所の野良猫たちも可愛がるようになり、仕事から遅く帰った時でさえ、数か所の野良猫の集結する場所に出向いて餌やりをするようになっていく。
 これは晩年まで続き、世田谷区の野良猫たちの里親さがしや世話をする人たちとも親しくなって、寝ても覚めても野良猫たちの世話に忙殺されるようになった。

 家にはミミの寝場所がつねに特等席として確保されていたものの、家の玄関わきや庭でエサをもらう野良猫たちもよく部屋に入り込み、思い思いの場所で眠ったり、休んだりしていった。ミミは、家の周辺では縄張りを守るのに予断のない、なかなか過激な女王様だったので、ミミがいる時には野良猫たちは近づかない。鬼の居ぬ間に…という感じで、野良猫たちは現われたものだった。

 ここに載せる写真は2005年頃のものらしく、元気だったエレーヌが猫たちとのつきあいを満喫していた時期の映像を残している。
 代田のエレーヌの家の庭や、玄関から出た小道、その小道の向かいの大家の本家の邸宅の壁、押入れの中に入り込んで眠る野良猫、うっかりシャッターを切ってしまった天井の写真などが含まれている。
 たくさんの猫たちにエレーヌはいちいち名前を付けていたので、ここに撮られた猫たちにもそれぞれの名があるはずだが、今となっては私にはわからない。

 玄関脇の自転車置き場のあたりにツツジが咲いている写真もある。
 玄関のもう片方の脇にも大きなサツキの二株が毎年咲き誇って、春から初夏、サツキのこの鮮やかな色を殊に愛したエレーヌを楽しませたものだった。
 けれども、この見事なサツキは、2010年にエレーヌが引っ越すとすぐに引き抜かれ、現在では裸の地面が露呈している。
 門もない家なので、象徴的ながらも、道と家のあいだをこれらの立派なツツジが守っていたように見えたものだったが、そうした風景上の美点も、エレーヌが去るとともにあっという間に消え失せてしまった。

 エレーヌの死後、彼女にゆかりのある場所の変化を次々と見せつけられていた数年間、ひとりの人の存在がどれだけ風景を守るか、風景を造り、維持し続けるかを考えさせられた。
 エレーヌが逝った後の世田谷のあのあたりも、東京も、日本も、土地や街はほぼ変わらず在り続けているかのようでいて、じつは、あの頃までの風景が二度と出現することのないほどの変貌が起こってしまっている。






























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