2012/08/09

「もう秋です…」

(エレーヌ・グルナック こんなこと 1)



by Yoshimi OHO  17/02/2008

                                                                                                    

      駿河 昌樹
      (Masaki SURUGA)


 8月も7日ごろにはもう立秋で、暑い日が続く年であっても、どこかに秋が忍びこんでくる。旧暦の季節感の正確さに感心させられる。
 8月のはじめ頃、ちょっと涼しくなったり、秋めいた雲が出たりすると、エレーヌはよく、「もう秋です…」と言った。6月や7月、まだ夏がはじまったばかりの頃、たまに涼しくなるような日にもこう言うことがあって、夏という季節の底にはじめから秋がひそんでいる、と強調したいようだった。
夏の暑さは嫌いではなかったし、汗が出るのもさほど苦にしなかったが、やはり、涼しくなって過ごしやすくなってくるのは嬉しかったらしい。夏の終わりや秋のはじまりの寂しさにも敏感だったので、「もう秋です…」には、いろいろな感情が交ざっていた。

 彼女が「もう秋です…」とくりかえすようになる8月はじめ頃には、毎年、庭の右側にあったサルスベリの木が美しい紅の花を咲かせた。エレーヌは強いピンクの色が大好きで、それに近いサルスベリの花を喜んだ。色彩辞典を見ると、ジェラニョム、ルージュ・アルダンなどが近いように思うが、ローズ・オルタンシャなども好きな色の範疇に入るかもしれない。春には、玄関わきのツツジの大きな二株が、やはり同じ色調の強いピンクの花々をつけ、彼女を喜ばせた。

こうした強いピンクは、ひょっとしたら若い頃からお気に入りだったのかもしれないが、はっきりと好みを打ち出すようになったのは、50代も後半になってからだったように思う。好むとはいっても、自分の身につける服やバッグや靴の色などは、すべて黒やグレーや墨色、渋い緑ばかりだったので、彼女と会う人たちは、エレーヌが地味な色を好むのだろうと思いがちだった。小物を買うにしても、鮮やかなピンクや原色のものを買うのは好まなかったので、彼女の身のまわりのものを見ると、黒やグレー系の地味な色しか好まない人のように思えたかもしれないが、心の中にはいつも鮮やかなピンクがあった。こんなところにも、エレーヌの複雑さの一端があった。
大好きなピンクを、彼女は花に託していた。バラをはじめとするピンクの花々を見に行くのを好んだし、そうした色のよく出ている花のカレンダーを飾るのを好んだ。花のカレンダーは、毎年いろいろなものが出まわるようでも、なぜか年によっては、よい写真のものが少ない場合がある。しかたなしにひとつ買っては来るものの、もっときれいな写真の載っていた古いカレンダーを捨てずに、いつまでも貼っておくことがあった。エレーヌの家のトイレには、十年近く前の花のカレンダーや紅葉の寺のカレンダーが貼ってあったが、それは、理想に近い花の色や撮り方への、ちょっとした愛着のひとつだった。

人にはよく花を贈ったが、自分で美しい花を買ってきて家に飾るということはあまりしなかった。自分が住む場所を小ぎれいな寛ぎの空間にしようとは思っていなかったらしい。各方面への知的興味の探求のベースとなるような本や資料やビデオテープのあふれた空間、さらには、毎日のヨガの実践のできる小さな修行場としての空間。このふたつの機能さえ満たしていればいい、と感じていたように見える。家具にもまったくといっていいほど注意を払わず、駒場の留学生会館から1980年前後に引っ越す時に人からもらった古いテーブルやローテーブル、粗大ゴミから拾って来た棚、必要に応じて買い加えたカラーボックスなどをいつまでも使い続けていた。
食卓やイスをもっと快適なものに買い替えようというプランはたえず提案したし、エレーヌも「いいものが見つかれば…」といつも言っていたが、なにかの買い物のおり、家具売り場に偶然出たのをさいわい、テーブルやイスを実際にあれこれ見てみると、エレーヌはすぐに疲れて、「やっぱり、いま使っている古いもののままでいい…」ということになった。自分で選んで新しく家具を買うとか、部屋の模様替えをするということになると、まるで塩をかけた菜っ葉のようにとでもいうか、みるみるうちに元気を失っていってしまうところがあり、そんな面倒なことをするよりも古いままでいい、というほうへ流れてしまう。こんなところは、いつまで経っても未熟なままで来たエレーヌかもしれなかった。

エレーヌの家のあった代田1丁目の近くには、環七を渡ったむこうに電器店のコジマがあり、電球やプリンターのインクなどを買うのにたびたび出かけた。機械全般の苦手な彼女ひとりではうまく選べないことが多く、たいていの場合はいっしょに出向いたが、彼女はそこで、よく、マッサージチェアに坐って背中や腰を揉みほぐすのに時間を費やした。ヨガでたいていの疲れは治せると自負していたが、近年ずいぶんと質のよくなってきたマッサージチェアの気持ちよさは、さすがに別格だったらしい。
機械に揉まれながらうっとりしているエレーヌを見ていると、マッサージチェアを買うのはスペース的に無理でも、せめて、座り心地のいい安楽なソファかなにかでも買わせないといけない、と思った。家で座る時のエレーヌの現実の姿勢というのは、台所で古いイスの硬い座面に座る時の姿勢や、畳に座ってローテーブル上のパソコンに向かう時の腹を折った姿勢、あるいは、ヨガをする時のさまざまな姿勢だけしかなく、楽にくつろいで座れる場面がまったくなかったのだ。そういうところを重視しなかったというか、なおざりにしてきたエレーヌだった。

もっと楽に座れるイスを買ったり、パソコン作業ももっと楽にできるようなテーブルを買ったりしなければ、と痛切に思わされるのは、エレーヌが添削をしているのを見る時だった。
大学への仕事の彼女の行き帰りの際、たまに同じ電車で移動することがあったが、エレーヌはよく、受け持っている仏作文の授業の提出物の束をリュックサックから出し、電車の中で添削していた。
60代になってからは老眼鏡をかけ、特に夕方の帰宅の電車の中では、傍目にも疲れた顔をして、フランス語になっていない学生の作文を赤ペンで直し続ける。教員にたいへんな手間のかかるこういう授業は、本当なら教授や準教授レベルの専任教員が担当すべきだが、面倒な授業は巧妙に非常勤講師に押しつけられることが、日本の大学では多い。そういう微妙な不公正に非常に敏感で、内心、いつも怒っていたエレーヌだが、こうした細かい仕事には手を抜かずに熱心に行っていた。毎週上達していくのが感じられるような熱意ある学生たちの仏作文の添削ならば、面倒でも、教員にとってはやりがいがある。しかし、せっかくの添削を返してもらっても、ろくに復習もしないような学生が増えてしまった日本では、教員の徒労感は増すばかりで、「直して返しても意味ないです。ぜんぜん復習しない…」と、よくエレーヌは言っていた。
夕方から夜の電車の中で、いかにも先生らしく、老眼鏡をかけて添削を続けるエレーヌを見ながら、どの時点で、どのようにこういった徒労を絶ち切り、もう少し楽な時間を日々増やしてやれるだろう、と考えた。

日本での彼女の実生活の世話をし続けてきた身としては、彼女の意思に逆らってでも、せめて家具の刷新ぐらいは敢行してしまってもよかったのではないか、と今さらながらに思われてならない。
人が急な大病になって亡くなるような時、まわりにいた者がいつも思うような感慨のひとつだろうが、今でもどこかの家具売り場にふいに出るような時、知らず知らず、エレーヌの家に合うテーブルや座り心地のよさそうなイスを探しているのに気づく。もうそんな必要もないのに、と思いながら、それでもしばらく、あれこれのイスやテーブルを、ほかならぬエレーヌのために、見つくろったりし続ける…






 

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