2019/11/03

エレーヌに酷似した人との遭遇



20世紀末、ブルターニュで。
En Bretagne


 駿河昌樹
 (Masaki SURUGA)


 エレーヌの9回目の命日を翌日にひかえた10月30日、用事を終えて湘南台駅から夕方の急行に乗ったら、エレーヌに生き写しのヨーロッパ人女性が乗っていて、驚かされた。
 髪は赤毛に近く、エレーヌよりも気難しげな顔つきで、他人にはちがいないのだが、眉毛から鼻のあたりが酷似していて、顔立ちもよく似ている。
 電車の壁に頭をつけて眠った様子など、エレーヌその人を見るようだった。
 もしエレーヌが、ノルマンディでよく見るような赤毛に髪を染めて、30代から40代の頃の顔つきで現われたら、きっとこのように見えるだろう、というような姿だった。
 その人は代々木上原で下りたが、おそらく、東京やその近辺の大学で、かつてのエレーヌのように外国語を教えて暮らしているのではないか、と思われた。
 命日のちょうど前の日に遭遇したので、エレーヌが、この人の姿を借りて現われたのではないか、と、ちょっと思われた。

 エレーヌに酷似した人に出会ったのは、これがはじめてではない。
 2009年から私が住んだ王子神谷のフレーシェル王子神谷というURには、私の棟にエレーヌそのもののような外国人女性が住んでいて、なんどとなく姿を目にした。
 エレーヌよりは少し背が高かったが、エレーヌよりも痩せていて、ずいぶん気難しげに見えた。冬の寒い日など、まるで、戦乱のなかを逃げのびてきたような悲壮な顔貌で、声をかけられるような雰囲気ではなかった。エレーヌが、チェコスロヴァキアとポーランドの混血だったことを思えば、そうした東欧の人だったのではないか。
 2017年に引っ越すまでに、一度でも声をかけて、どちらの国から見えたのですか、などと聞いてみたかったが、この人の気難しげな悲壮な顔つきに気後れして、とうとう声をかけられなかった。たしか、2017年の春先にも見かけ、ずいぶんと歳をとって窶れたように見え、エレーヌよりも若いはずのこの人も、こうして老いさらばえていくのだな、と、失礼なことを思った。
 
 エレーヌに似た人に会った経験は、もう一度ある。
 これは、エレーヌがまだ生きていた時期で、しかも、まだエレーヌは病気にさえなっていなかった頃だから、ずいぶん古い話である。2005年から2008年頃だったのではないか、と思う。
 まだ古い状態だった下北沢駅の東口の階段を上っていくと、その上にその人はいて、他にいたふたりの男の人たちと話していた。当時の下北沢駅の東口は、階段を上がると箱根そばがあり、いつも混雑していたが、そんななかで、後から来るだれかを待っているふうだった。
 エレーヌがときどき穿いていたような長いスカートに、やはり、カジュアルなジャケット姿で、どこから見てもエレーヌその人に見えた。おそらく、フランス人か、ポーランド人か、エレーヌと同じ人種の血が入っている人のように見えた。
 その人の近くを通りながら、「あれ、エレーヌ、どうしてここにいるの?」と声をかけようと思ったくらいだった。その日、エレーヌは他の場所へ仕事で行っているはずだと知っていたので、下北沢にいるのはおかしい、と思ったのだった。
 1メートルほど近づいてもエレーヌに見え、それでも、エレーヌのはずはないという思いから、かろうじて声をかけなかっただけのことで、この時は、見かけたこの人がエレーヌではないと認識したわけではなかった。
 エレーヌにしては、ちょっと古い時代のエレーヌの服装を今頃しているのがヘンだな、と違和感を感じて、そのために声をかけなかったのだったが、後になって思い返せば、そんな自分の判断も、ちょっとおかしいと思えた。
 あの瞬間、奇妙な時空に入り込んでしまっていて、ひょっとしたら、ほんとうにエレーヌの分身に出会っていたのではないか、と考えたりした。
 このことは後でエレーヌ自身に話したが、「それ、たぶん、私の分身です」と答えていた。そうして、私と話す時によくしたように、「私は、いつも、どこにでも、いますよ」と冗談を加えた。
 
 ちょっと奇妙な話になったので、この系統の話を加えておこう。
 2009年の春先の確定申告の頃のこと、梅ヶ丘の税務署にエレーヌの確定申告をしに行った際、税務署に向かう道を歩いていると、私の目の前の空の低いところに、急に雲が湧き、見る間に三つ巴の龍となって円を描いたことがある。(エレーヌは、確定申告のような面倒な計算がいっさいできなかったので、私が毎年、かわりに処理していたのだった)
 空といっても、建物の3階や4階ほどの低さのところで、そんなところに急に雲が湧き出し、龍の姿が現われて、前の龍の尻尾を追うかたちで三つ巴になったのだ。
 私は立ち止まって、目の前の、手で触れられそうな間近にはっきりと現われた不思議な雲を見ながら、これはいったいなんのしるしなのか、予兆なのか、と驚いて見つめた。道行くまわりの人たちにも当然見えているだろうと思い、まわりの人たちの様子を窺ってみたが、誰も気に留めていなかった。
 この奇妙な雲がなにを意味するものなのか、いつまで経ってもわからなかったが、これを見てからひと月後にエレーヌが末期ガンの宣告を受けたのを思うと、彼女の病気に関わる長期の困難を知らせるなにかだったのか、とも思う。

 予兆といえば、もうひとつ。
 エレーヌがガン宣告を受けた2009年の少し前、2008年の年末に、私は大学から借りてきたアニエス・ヴァルダAgnès Vardaの映画『5時から7時までのクレオ(Cléo de 5 à 7)』*を見て、エレーヌにも貸したことがあった。私としては、なるべくはやく大学に返したかったのだが、エレーヌがどうしても見たいというので、彼女にビデオを貸したのだった。
 エレーヌはなかなか返してくれず、私の手元に戻ってきたのは2009年の1月になってからだった。
 エレーヌは、この映画を昔にすでに見ていたと言っていたので、どうして、ぜひ見直したいと言ってこだわるのかわからなかったが、この映画が、ガンの疑いがあって生体組織検査を受けた女性の不安な心理を描いたものだったのを思えば、ほかならぬガンの宣告を受けることになる数ヶ月前に、エレーヌがどうしてもこれを見直したい、と望んだのは偶然ではなかったように、今は思われる。なにか大きなことが起こる前には、予兆はさまざまなかたちで手元に集まってくるもので、それに無関心ではおれなくなるものかもしれない。


*Agnès Varda 《Cléo de 5 à 7》》https://www.youtube.com/watch?v=imbeCibgWXY


20世紀末、ブルターニュで。
En Bretagne

 

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