2019/11/05

世界中で見られているエレーヌのこのブログ






  駿河昌樹
  (Masaki SURUGA)


 すこし楽屋裏のお話をしようかと思う。
 ここに載せたのは、このブログの今日時点での閲覧状況。
 2010年に開始して以来、どれだけ見られてきたかが、だいたい、わかる。
 イタリアよりも少ない数字もたくさん並ぶが、表の表示の都合でぜんぶは見えていない。

 有名人でもなかったエレーヌのブログが、これだけの数、ネット上で見られてきたのは、やはり、驚くべきことではないか、と思える。

 日本国内で、友人や知人がなんども見るということは、もちろんありうるので、34512回も見られるのは、まだ理解できる。
 しかし、外国からのこれだけのページビューは、いったいどういうことだろう。
 この数の多さには、じつは2013年頃には気づいていた。

 たぶん、エレーヌがフランス語で書いたデュラス、プルースト、サガン、カミュなどについての文章が、世界各国の学生たちのレポートの参考になっているのではないか、と思われるのだが、もちろん、文学好きの人たちにも、ちょっとした参考になったりしているのではないかと思われる。日本に興味のある外国人たちにも、いろいろと参考になっているのは、想像に難くない。

 エレーヌ自身が出会うことのなかった世界中の人たちに、エレーヌ・セシル・グルナックという人が2010年まで日本に生きていた、ということが、これだけの数で、すこしは知られるようになったのは、このブログをつくって、維持してきた私としては、ほんのちょっと嬉しい。
 そしてまた、これがインターネットというものだ、と再確認もさせられる。

 すでにご存じのように、このブログは、エレーヌ自身がまったく関わらずに、私だけの意思で立ち上げ、維持し続けてきた。
 死の近い頃のエレーヌに、書いたものを載せるブログを作ったらどうか、事務的な実際の作業はぜんぶ私が受け持つから…と聞き、許可をとり、進行の意思を確認はしたので、その意味ではエレーヌの意思もしっかり入っているが、機械やインターネットなどを煩わしいものとしか思わない傾向のあったエレーヌに、面倒なことは始めたくないという躊躇が最後まであったのも事実である。

 始めた当初、じつは、エレーヌと非常に親しい人と自称する人たちから、私が編集するこのブログの形態への批判がずいぶんあった。自分の知っているエレーヌさんが、こんなブログを許すわけがないとか、エレーヌのフランス語の文章の翻訳を載せるべきではない(エレーヌのオリジナルな発言ではないから)とか、私のエレーヌの紹介のしかたや見せ方が、本当のエレーヌを損なうものだとか、いろいろとメールで批判された。
 不思議だったのは、そうした人たちが、エレーヌと非常に親しいと自称しながら、しかし、2009年からのエレーヌの闘病期や最期の頃にも、まったく連絡もよこさなければ、顔も見せなかったことだった。1年半のエレーヌの闘病期間、親しかった友人や知りあいの人たちは、ときには単独で、ときにはゆるやかなチームを作って、毎日のように病院に行ったり、エレーヌの住まいに行ったり、役所に書類手続きに行ったり、さまざまな医療機関に連れていったりしたもので、そうした人たちこそ「非常に親しい」と呼ばれうる人たちだったのは、一部始終を見てセンター役を担っていた私からは、あまりに明白なことに思える。

 いろいろと批判をメールで送ってくるほどの思いがあるのだから、「非常に親しい」と自称する人たちが、各人、エレーヌのことを大事に思っていたのは確かだと思う。そう思いながら、2010年頃は、いろいろな反応を受け続けたものだった。このことは、9年も経過した今、そろそろ、ちょっと記しておいてもいいだろうか、と思う。
 
 エレーヌに出会った人たちは、みな、それぞれのエレーヌ像を受止め、こころに持ち続けて、それによって励まされる人もいたし、得がたい親友のように思う人もいたし、ただただ、懐かしく思い出し続ける人もいるのだろう。
 『葉隠』に「心の友は稀なるものなり」という有名な言葉があるが、エレーヌが、こうした「稀なる」「心の友」であるような印象を多くの人に与える存在だったのは、やはり、確かだったように思う。

 私が編集し、維持してきたこのブログが、エレーヌを歪めて伝えていると考えて、苦々しく思う人も多いかもしれない。
 しかし、以前に書いたように、いろいろなエレーヌの思い出やエレーヌ像を、このブログには自由に寄せていただいてかまわないのだし、そのようなオープンな性質はつねに維持したいと考えてきた。そもそも、まったく違うエレーヌ像を提示する他のブログが作られてもいいのだし、さまざまな場が作られてもかまわない。

 大事なのは、ほんのすこしでも、多くの人に見やすいかたちで、ほんのすこしでも、より長く残るかたちで、ということだと思っている。
 2010年時点で、私は、紙媒体での記述や保存をする時代は、もう終わった、と思っていた。
 エレーヌに関する記録や文書の保存も、インターネット上に行うほうが、少なくとも、火事や浸水などの被害を避けられると思い、すこしでも多くの資料をネットに上げるように努めた。
 電子的な情報や回路を一瞬に消滅させる最先端の兵器はすでに開発されていて、いずれ用いられるだろうが、当面、エレーヌに関わる資料のネット化の方針は、やはり、正しかったと思われる。
 
 ネット上でエレーヌを見出し、彼女の書いたものや、彼女に関わるエピソードをお読みくださった世界中の方々には、ここで感謝を申し上げておきたい。
 ありがとうございます。







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