2011/02/18

グルナック先生の思い出

SFC(慶応大学藤沢キャンパス)での授業風景
SFC関係者か学生による撮影



 加 藤  多 美 子
  (Tamiko KATO)



 親を亡くした小さな子供に「お母さんは夜空の星になられた。星に向かってお話すると想いは届くのよ」と人々が言いたい気持はよくわかりますが、自分では少しも信じることができません。それなのに先生に話している私がいます。先生は「大気のなかにいるかもしれない。どうしてそうでないと言い切れるの?」とおっしゃるでしょう。

 私が在籍した約13年間、カルチャースクール*のフランス文学講読講座では主にプルーストを教えていただきました。作品の中にそのままとび込んで感覚や感情をたよりに、自分なりの受け止め方で味わっていたように思われます。あらゆる読み方を肯定してくださったと言ってもよいと思います。授業は先生の情熱が生徒にうつって、たいへん高揚いたしました。私などフランス語がよく話せないので、クラスのあとで、美しくて心に残った場面を日本語で話さずにはいられませんでした。先生は淡い緑の瞳を輝かせて、聞いてくださいました。『失われた時を求めて』の中の、語り手がラスプリエール荘に行く途中の高台から眺めた海の描写や、サン・ルーやラシェルと共に訪れた花咲く梨園(マグダラのマリアが復活したキリストに出会った園を思わせる)など、次々に思い浮かびます。

今、後任の菅沼先生が「スティル(文体)は受容者によってはじめて見えてくるものであり、読みは読者によってあらたに生まれてゆく」という、プルーストの、受容に重きを置いた美学について、教えてくださっていますが、グルナック先生のお授業はこの理論に基づいた実践そのものだったように思われます。

 個人的なことをお話したことはあまりないのですが、小説、映画、音楽、絵を通して、感覚を共に経験させていただいたという気持が強くあります。一昨年の手術後にカルチャーセンターでお目にかかったとき、思わず私からハグをしてしまいました。ティミッド(臆病、小心)な私としては、ありがたい衝動でした。

 プルーストだけでなく、デュラスの愛憎の激しさ、クンデラの苦味なども、洞察のすぐれた包容力で導いてくださいました。「病を軽蔑し、明晰な死を望む」という『結婚』のカミュについて、先生は「カミュは若いわね。年をとった彼を知ることができなくて残念」とおっしゃっていましたが、先生はもっと自然体でもう少し柔らかなペシミスム・エクレレを身につけておられたと思います。(大林さんが書いておられますのに同感です)。風が大好きで、『インディア・ソング』の放浪する女乞食にも共感しておられました。根底にあるペシミスム・エクレレ(明るいペシミスム)によって、先生は澄みきり、人の悲しみに敏感に反応してあれだけ優しかったように私には思えます。

 先生は「いろいろな死に方があって、それもよい」とおっしゃるでしょうけれど、ずっと明晰な意識のままで、まわりの人々に愛され続けて亡くなられたことを、私はやはり嬉しく思っています。

  
(2011年2月15日)


*朝日カルチャーセンター横浜



【管理者の注】
 エレーヌ・セシル・グルナックの文章を、本人とのやりとりを重ねつつ翻訳してきた加藤多美子さんによるメモワール。愛弟子のおひとりとして、日本語に直しづらいところの多いグルナックのフランス語の翻訳に携わってこられた。
 
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